+ 憂さ晴らし 3 +

 

 

 

 

「....きょーかん....」
背中の郁の寝言に呼びつけられた。
寝オチした郁を負ぶって帰路につくのは、初めから予定していたことだ。
郁の重さにはもう慣れた。手足も長いがしなやかで軽い。

「なんだ?」
「.....きょうかんとのみかい....たのしかったれす....」
「それはよかったな」
「.....でも、よっぱらったあと、ってなんか、さみしくなるんれすね....」
「きょうかんといっしょでよかった.....でも...りょうまでなんれすよね?」
「あたりまえだろう」
男女別の寮生活だ、一緒に過ごす場所などない。

「.....ずっと、こうしていたら....あたたかくて...きもちいいのになぁ.....」
ぎゅ、っと、首に回されていた腕の力が強くなった。


こうして繋がっていたら、きっと気持ち悪かったことも思い出さなくてすむのに。
声にならない郁のだだ漏れが、なぜか堂上の耳に飛び込んできた。


「お、おまっ.......」

本気で言ってるか?起きてるのか?
そう思ったが、その後は寝息の音しか聞こえない。


ああくそっ。


店で独りごちで思っていたことがよみがえる。
手を伸ばすべきなのか?俺は。


寮への直進を諦めて、近くの公園の入り口へと方向転換をした。





ベンチに郁を降ろして背もたれに寄りかからせる。
寝転がしてしまうと、本格的に寝入りそうなのでやっかいだと思った。

本当は水を買ってきてやりたいが、この状態で置いておくわけにも行かない。誰もいないとしてもだ。

「笠原....」


お前、どうしたいんだ?
そう思って名前を呼ぶと、違う答えが返ってきた。

「.......てを、かしてもらえますか....?」

まだ、眠りの中で目が開いている様子もないが、そういいながら堂上の手を掴んできた。
そして、自分の太腿の上にそっと置いた。
堂上は予想もしない郁の行動に言葉もでない。


「......きょうかんのては、きもちわるくないから.....」
あのときの感触が思い出さなくなるまで、こうして脚の上に置いていいですか?

「ああ....」

郁の脚の上に置かれた掌を、絶対動かしてはならない、堂上はそう直感で思った。
今は服越しだが、囮捜査の時のしなやかな白い脚を思わず思い出してしまった。
補足締まった脚なのに、やわらかな感触が伝わる。


正直、撫で上げたくなる衝動がわからなくも....ない。だがうっかり動かしてしまったら、あいつと同じだ。
そう自分に言い聞かせてじっと置くだけだ。

「.......でも、あいつのかおは.....きえませんね.....」

あの男が浮かべた薄気味悪い笑い。
堂上に胸ぐらつかまれたときにも、あいつは薄ら笑いのままだったので覚えている。

「抱きしめて....やってもいいぞ.....」

深く考えずに、口からでた言葉だった...。いや、そうしたいのは自分の想いか....。

「.......抱きしめて」

うつむいたまま堂上の掌に目線を落としていた郁の口から予想しない言葉が漏れた。
いや、もしかしたら、郁がそう言ってくれるこの瞬間を、待っていたずるい男かもしれない。

いいのか?
そう言葉にすることをやめ、郁の腕をつかんで肩を引き寄せた。


そのとき、堂上の目が郁の潤んだ瞳をとらえた。
郁の背中に腕を回すと、郁も応じるように堂上の背に腕を伸ばしてきた。


「........今は、きょうかんのことで頭がいっぱいだから.....」
思い出さずに過ごせるかもしれません....
「ああ....」
堂上はそれ以上言わずに、ただじっと、郁を抱きしめていた。
それほどの量を飲んでいない郁からは、アルコールのにおいはほとんどしない。
堂上を刺激するのは、郁から香る髪と、郁の匂いだけだった。
今は郁の望むことだけをする。それ以上は、どんなに駆られてもすべきではない。



どれくらい、そうしていたのだろう?
公園だから、誰か人が通ったかもしれない。
でも、そんなことは関係なかった。誰かに見られようが、どう思われようが、自分のぬくもりで郁が抱きしめられる幸せを感じることができて--------忘れられるなら。


「.......すみません、こうしてもらっていたら....眠ってしまいそうでした....」
こんなところで、寝ちゃったら風邪引きますよね。

「抱きしめられる、って幸せなんですね」
初めて知った、抱きしめて、抱きしめられて、それだけで幸せになる気持ち。
これが、想いの通じたもの同士だったら、どれくらい幸せになってしまうんだろう。

でも郁と堂上は、部下と上官だ。今はそれだけ。
上官のやさしさに、甘えているだけだ。そう思ったら、ぽろり....と一粒涙が流れてしまった。

その感触が堂上の首筋に伝わった。


「......どうした、笠原?」
また気持ち悪いことを思い出したのか?


「......いえ、今日は、教官に甘えすぎました....」
「俺がいい、って言ったんだ.....甘えておけ」
でも...、やっぱり甘えすぎでした、彼女でもないのに。
「......今日はお前が一番の功労者なんだ、何をわがまま言っても良い...」
毬江ちゃんも安心しただろうし、この先の女性利用者の安全だって守ったんだ。

「......何なら、明日の公休が終わるまで、甘えても構わない.....」
ずっと酔い心地と眠気に包まれながらも、きちんと堂上と受け答えをしていた郁だったが、突然、耳を襲った堂上の言葉に目を開けてしまった。

「......きょうかん...?」
「......あんなやつの事を思い出す隙間もないぐらい、今日はずっと俺で一杯にしておけ」
耳元でいつも聞く声より、ずっと低い声でささやかれ、郁は身震いするような感覚にとらわれた。
でも決して痴漢行為を受けたときに感じたものではなかった。








タクシーに乗せられ、つれていかれたのは隣駅のビジネスホテルだった。


「朝まで.....お前を抱きしめてやるだけだ....」
部屋の前で鍵をあける前に、そう堂上は言った。

「はい....」
「それに.....」
お前が、泣きたいんじゃ無いかと思ってな。

 

部屋に入ってから、再び堂上は郁を抱きしめた。
しばらくたったまま抱きしめあって、堂上が口を開いた。

「泣いても....いいんだぞ...」
泣くなら、俺の前で泣いて欲しいんだ....。
泣いてもいい、の先は郁の耳には届かなかった。

「いいんです....気持ち悪いのは、たぶん忘れられないかもしれないけど....泣いたらあいつに負かされるみたいで....」
「そんなことはない」


猥褻犯に触られたとき、やっぱりすぐには声が出なかった。
毬江ちゃんもあんな事をされても、声を出すことはできなかった。
たぶん郁も図書館だったから....そもそも、静かな図書館で声を上げること自体、勇気がいる。
自分は仕事で、投げる、と決めていたから出せた声だったと思う。
そして声をあげなければ、堂上たちには痴漢行為が見えないかもしれなかったから。


防衛員になった今だって、電車の中での痴漢行為とかだったら、声をだせるかわからない。


女はやっぱり、卑猥な男にはやられっぱなしで泣き寝入りするしかないの?
他の女の子より何十倍も鍛え上げている自分ですら、だ。
そう、思うと、自分が辛い、というより、女って辛い、という想いから泣けてきた。


「囮になってみて....自分が、じゃなくて、被害にあった人が、本当に辛かったって思うと....その方が辛くて...」
それでちょっと泣きたくなったのは本当です。


「今日はお前が好きにしていいんだ....俺で、よければな」
人間ハンカチでも抱き枕でもかまわんぞ。そんな風にジョークで笑わせてみるつもりだった。


だが...
「......教官が、いいんです」
郁は再び堂上へ腕を伸ばした。


本当は、教官でなければだめ、そんな気持ちになりかけていた。
他の人に、抱きしめてもらって、幸せにすごせるなんて....たぶん、あり得ない。
まだ、少し酔いの感覚ながら、郁はそう感じていた。


好きにしていい。


そう言われた。
あたし、教官にどうして欲しい?
.......そんなの......好きな人にして欲しい事は決まっている。


でも、これは酔った勢いなの?
憂さ晴らしにこんなこと思ってたりする?


.......それでも、いい。


「....キス....して欲しいです」

 



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(from 20120606)