+ 憂さ晴らし 4 +

 

 

 

 

 

郁の唐突な言葉に腕の中で包んでいた身体をそっと離した。
そして少し顔を上げ、俯きながらも堂上の目を見つめていた栗色の瞳と視線を重ねた。

「.........」

俺はいったい何を言おうとしたのか。
恋人でもない俺とキスをしたい、というのか。
上官の俺からキスされていいのか。


一瞬でいろんな言い訳が駆けめぐった。
だが、本当は、どんな言い訳も必要ない。
これは.....郁が望んだことだから。


手を伸ばせば届く所にいる女に、手を伸ばせない俺。
でも女は......郁が手を伸ばして欲しい、と言ってるんだ。


上着を脱いでライティングデスクの椅子に投げかけた。
そういえば郁はかばんも肩に掛けたままだった。それをそっと外し、同じデスクの上に置く。
そして郁の上着に手をかけ、丁寧に脱がせた。


そのままベッドの縁に座らせた。
まだ郁はほろ酔い状態だから、立っているよりはこの方が良い。
堂上は備え付けの冷蔵庫へ向かい、ミネラルウォーターを取り出して蓋をきゅっと開けた。

「水分はとっておいた方が良い、喉が乾いただろう」

そういって郁に差し出した。
郁は黙ってペットボトルを受け取り、言われたとおりに喉を潤した。
顔を上げたとき、幾分顔が赤くなっていたのは気のせいか?



郁からペットボトルを取りあげると、躊躇なしに自らもそれを口にした。
そして郁の隣へ腰を下ろした。

「......いいのか?」

抱きしめたときは訊かなかった。だが今度は訊いた。
それはもう、上官が部下の憂さ晴らしに付き合い、慰める、という次元を越える行為だから。
郁は黙ってコクリと頷いた。





◆◆◆





堂上と郁の二人きりの飲み会になっって、しばらく経った頃、郁の携帯がブルッと震えた。
ちょうど堂上はトイレに立っていて席を空けていた。
携帯を開くと、少し前に帰寮したはずの柴崎からのメールが届いていた。

『憂さ晴らしなのにすぐ寝ちゃったらもったいないんだから、ゆっくりお酒を楽しみなさい。本当は堂上教官に上書きしてもらうといいのにね』

ど、堂上教官に上書き、って何?
柴崎にそう返信しようかとメールを打ち始めたところへ堂上が戻ってきた。

「メールか?」
「い、いえ、いいんです、柴崎からでしたから、寮に着いたって」
郁は柴崎に訊くのをあきらめて、携帯を閉じた。


教官に「上書きってなんですか?」って訊いた方が良いのかな?
柴崎にそういわれた、と素直に伝えてしまっていいものなんだろうか?なんか、それはまた、とんでもないことをやらかしてしまいそうな予感、いや直感がした。堂上に訊くのはやめよう。

上書きって、パソコンのファイル保存とかで出てくるよね...。
情報を上から塗り替える、ってことかな?

ふとそう考えたが、酔いも手伝ってか、それ以上深く真剣に考える気にならなかったし、堂上が戻ってきたので、なんとなく中座する前に話していた事をそのまま話し始めたので、それ以上「上書き」について考えるのを止めた。





◆◆◆





基地近くの公園で堂上は抱きしめてくれた。

この心地よさがずうっと続けばいいのに...
そんな風に思っていたせいなのか、堂上はホテルにつれてきてくれた。
ここなら...ずっと一緒に...朝まで....一緒にいられる。

うれしかった。

二人きりで飲みに行く、ということだって無かったのに、なぜか今は二人きりで誰の目も気にしなくて良いところにいる。

教官は普段は厳しいけど、こういう時は優しい。

もし、これが手塚だったら、朝まで居酒屋を梯子して飲み明かして慰めるのだろう。
だけとあたしはお酒弱いし!居酒屋で寝ちゃったらいたたまれないし!
きっと、こうしてホテルにいるのも、寝オチ前提の手の掛かる部下の方だから、しかたなくなんだろう。


酔いと少々の眠さのせいなのか。
上官と部下が二人きりでホテルにいることのなんたるか、ソコまで思考は回らなかった。

堂上は「今日はお前が好きにしていい」そう言っていた。

言い訳とか、つじつまとか、立場とか。
誰か、とわかっている訳じゃないけど、教官に憧れている女性とか、教官が......好きな女性とか。
こんなことをお願いする前に、本当は訊いてみなくてはいけなかったかもしれない。でも酔いにまかせて、正直すべてがふっとんだ.......自分が口にした台詞、以外は。



ミネラルウォーターを再び冷蔵庫に入れ、堂上は郁の隣にゆっくり腰を下ろした。
郁は俯いたままだった顔を上げた。そして横の堂上へ顔を向け漆黒の瞳を捉える。

「笠原....」

郁の双肩に手を置き、身体を少しだけ引き寄せ、向きを変えた。
こぼれそうな瞳はうっすらと潤ったまま、ずっと堂上の瞳を見つめていた。
顔が近づいても、郁はそのまま目を開けていた。
まさかそのままするつもりなのか?と突っ込みそうになったギリギリで、郁は目を閉じた。それを見届けてから軽く、やわらかな唇に触れた。

ほんの刹那。

それで、郁の願いをかなえたはずだった。
唇が離れたそのとき、堂上の背中に郁の腕が伸びた。

「...どうじょう...きょうかん...」
うれしい....

まるで吐息の様に消え入りそうな一言だったが、堂上の耳には届いていた。
きゅ、と背中に回っていた腕が、わずかに締められ、そのまま郁は堂上の胸元へ顔をうずめた。

....何が、音を立てた気がした、自分の中で。
それが何の音だったのか、考えることは無かった。
堂上は自らも郁の背に手を伸ばし、ぎゅっ、と抱きしめた。

「郁...」

名前で呼ばれた事で郁は驚き、顔を上げた。
その瞬間、もう一度堂上に唇を奪われた。触れるキスから、重なるキスへ。


郁は再び目を閉じ、堂上にされるままのキスの心地よさに酔いしれた。
そして堂上は郁の唇をついばむようなキスをしてくれた。
.......郁を優しくいたわるような、愛情をあたえるような、そんなキスに感じた.....

これが、郁のファーストキス、だった。





再び抱きしめてやると、郁はそのまま堂上の胸の中に顔を埋め、すうっと寝息を立て始めた。
ずいぶん、睡魔を我慢したはずだ。今夜はこのまま寝かせてやりたい。そのためにここへ連れてきたんだ。
自分で自分にあれこれ言い訳して。

上着は脱いだとはいえ、私服のまま寝かせてしまうのはしのびなかったが、かといって服を脱がせるわけにもいかなかった。その権利は、自分にはまだ与えられていない。

シャワーを浴びるか?
と声を掛けようか迷った。だけど、入浴後の郁をみて、そのまま抱きしめるだけで収まるはずは無い。
今日はダメだ。

猥褻犯に触られ、撫で上げられて、そんな触感を忘れさせてあげなければならないのに、俺が撫でてしまったら。
.....あの男に触られていたときに不快感がよみがえってしまうかもしれない。

郁の柔らかな唇に初めて触れた。
うれしい、と言われ再び唇に触れたとき、もっと深く、郁の唇と腔内を堪能したい衝動に駆られた。

......どんな我慢大会だ。

いったい俺は何を試されているだろうか、とも思った。
だが自分で「抱きしめてやるだけ」と決めたのだから、このまま拷問の様な時間を過ごすしかない。

「....少しだけ....離れるぞ」

届くことのない言葉を寝入った郁にかけ、そっとベッドの上に横たえた。
頭と....身体を冷やすために、自分だけ悪いが、シャワーを浴びることを選択した。



◇◇◇



郁は喉の乾きを感じて目を開けた。何時だろうか?少なくても日付は変わっていると思われた。


いつもと違う風景が目に入り、それに順応できるまでしばらく時間が掛かった。

-----------いや、覚えていない訳じゃない。昨晩の出来事を。

「朝まで.....お前を抱きしめてやる」
確かに堂上はそういって、郁を腕の中に抱いたまま、隣で眠っていた。


起こすことの無いように、とそうっと腕枕から頭を外したつもりだったが、堂上は気がついて目を開けた。
「......気分は、悪くないか?」
「......喉が、乾きました.....」
待ってろ。
そう言うと、堂上は身体を起こして、飲みかけだったミネラルウォーターを取りに行ってくれた。
郁は受け取ったペットボトルを飲み干すために、ベッドの上に座り込んだ。
堂上はベッドの縁に腰掛けて、郁を見つめていた。

しばしの沈黙。

俯いたまま、それを破ったのは郁だった。
「・・・・・・・.教官」
迷惑を・・・掛けちゃいました・・・。.
すべてが、いい、といわれた行為だったが、酔っていたとはいえ、それに大いに甘えてしまった自分が急に恥ずかしくなった。

好きな人と二人でお酒を飲んで、抱きしめてもらった。それで十分幸せだった。それだけで今日のいやなことは十分、忘れられそうな気がしていた。
でも好きにしていい、と言われた瞬間、なぜか柴崎のメールが思い出された。

『上書き』

本来なら今日は気色悪い触感と薄気味悪い笑い顔に悩まされる夜を過ごす日だった。
だけど、上書きするのであれば・・・今日が、ファーストキスの日になったら?

好きな人からファーストキスをもらえたら、きっと一生忘れられない日になる。
・・・・・・例え、想いが届かなくても。
「・・・でも、教官のおかげで、昨日は嫌な経験をした日じゃなくて、私のファーストキスの日になりました」
教官には大いに迷惑を掛けちゃいました....ずるいですよね、あたし。

「・・・ごめ」
「笠原」
ごめんなさい、と言おうとする言葉に堂上の郁を呼ぶ声が重なった。
「ひとつだけ覚えておけ」

「・・・・・・・俺は、誰にでもこんな事はしない。お前だからだ」
お前は本当に俺で一杯になったか?
それで幸せを感じられたか?
本当は、お前をもっと甘やかせたい。俺がそう思うのは迷惑だろうか、お前が過去の俺の背中を追いかけているうちは。
「・・・はい・・・」
頼りない、絞り出したような返事は、俺を一層切なくさせた。
俺の方が----------もう少しだけ、お前に甘えたい。

 

「・・・まだ夜明け前だ、もう少し、眠るか?」
公休が終わるまで、っていったんだ。まだ時間はたっぷりある。この、魔法に掛かったような時間は。


お互い、私服のままだったが、再びベッドに身体を横たえた。
俺は郁の背中へと再び手を伸ばし、抱え込むようにして、そっと目を閉じた。
たぶん、眠れないだろうと思いながら。

 

 



fin

 

 


・・・・・毬江ちゃんが痴漢にあった後に小牧にねだった「上書き」ですが、
毬江ちゃんの場合は、あれもよし、と納得したものですが、郁の場合はどうなのかな?って思ったのがきっかけのSSでした。いや待て、思いも通じてないのに、撫でられたらちょっとかも?!なーんて。

ですが、いやー、大変でした(笑)がんばってみたのですが、私の描く系統の話しじゃなかったかも?!と-----(>_<)
じーっくりひっぱってみたい、と言う思惑があったけど、あっちこっちうろうろしちゃうし、甘くならないし!!
とりあえずこんな我慢大会が良くできるな!!と、ヘタレな堂上教官を褒めておきたいと思います♪
ありがとうございました★

 

 

(from 20120607)

 

 

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