+ 図書館の夢の奥底 +  「みなみのこえ」みなとさま転載許可いただいたSS (オリキャラ注意:図書隊パラレル設定)

 

 

 

 

・・・・・図書館の夢1~3読後推奨
       ジレジレ期










 空を見上げるとすでに黒い闇が全体を覆っている。
 曇っていることで、星一つ見えず、月の明かりもなかった。明日は雨かな、洗濯物は外に干せないな、と主婦のようなことを計画しているのは、まだ小学一年生の桃だ。
 吐く息は白く、今日は一段と寒い夜になりそうで桃は帰宅したときの部屋の寒さを予測してぶるりと体を震わせた。

 遅くなっちゃった……。

 さっきまで同じクラスの女の子とその子の家でおしゃべりしていたのだ。
 その子も親が遅い時間に帰るということで時間も忘れて、かわいいシール遊びに夢中になっていた。
 時計を見るとすでに5時半で、外は薄暗くなっていた。
 もう帰るね、と友達にさよならして出てきたが、同じ校区とはいえ、少し図書基地からは離れた場所にあることで、早足で急いでも所詮は一年生の足である。もうすぐ二年生になる桃だが、郁とは違い、それほど体育が得意ではなく、走る速さも普通である。そのため時間はどんどん過ぎていったのだ。
 さすがに道路を歩く人は大人ばかりで、この時間になるとランドセルの桃の姿は少し目立つ。塾や習い事へ向かう子どもだと思われているかもしれない。

 まあいいかどうせ郁ちゃんいつも遅いし。

 仕事が終わってから郁が買い物をし、官舎に帰るのは大体毎日7時は過ぎる。だから桃は自分で官舎の鍵を開け、暗く寒々しい部屋に入り、ゆっくり宿題をし、お風呂を用意したりして郁を待つだけだ。
 官舎に帰る桃は、ただいま、と声を出すこともほとんどない。そんな毎日だった。
 だからだろう、桃は自分で気づいているのかいないのか、官舎に帰るよりも、友達と少しでも長くいることを選んでしまっていた。


 図書基地の官舎に着き、窓を見上げると、               電気が点いている。
 やばいっ! 郁ちゃん今日は早かったんだ!
 さすがに家に帰って桃がいないことを知れば郁は心配するだろう。
 桃は走って階段を駆け上がり、鍵も使わずに官舎のドアをガチャッと開けた。

「郁ちゃん! ごめ                 

 玄関の内側に立っている人間に、焦って謝ろうと思った桃は、その人間を見て目を見開く。
 同じように驚いた顔をして桃を見下ろした人間は、すぐに表情に怒りを表した。

「どこ行ってたんだ! こんな遅くまで!」

 低い怒鳴り声。迫力は郁の百倍にも勝るほどの叱られように、桃の体はビクンと竦んだ。
「・・・・・・と、友達の家、で」
 やっとのことでそれだけを話すと、目の前の男は片膝を床に着け、桃と目線を合わせる。
「友達の家で遊んでいて遅くなったのか?」
 コクンと頷いたが、頷けているのかどうか桃には分からなかった。
 怒鳴られる声に体中が竦んで、喉も固まっているように言い訳も何も思いつかない。

 その時、桃の後ろでガチャッと玄関が開く。
「桃っ!」
 郁の声だった。
 振り向こうとしたら、振り向けなかった。
 後ろから、ランドセル越しに郁が抱きしめたからだ。
「・・・・・・よかったっ! 無事でっ」
 ああ、あたし、やっぱり心配かけちゃったんだ。
 
 桃をずっと走って探していたんだろう、郁の体は冷え切っているのに、呼吸は荒く、吐く息は驚くほど熱い。後ろから抱きしめていることで郁の顔が桃の顔の横にあり、その熱い息が桃の頬にあたっている。

 呆然とした顔で、目の前の、         堂上を見つめる桃だったが、怒鳴られて怖いはずの堂上の目はまっすぐ、優しく桃の目を見つめていて。
 不思議と、堂上ではなく、郁でもない、違う二人が桃の感覚を大きく揺さぶる。それは、激震とも言えるほど。

 物静かだったけれど怒るときはとっても厳しかったお父さん。
 普段口うるさいのに心配したときは叱らずに泣いていたお母さん。

 何故だか不意に心の奥底に見ないようにしていた思い出を力ずくで引き出されて、桃は足元から感情が這い上がってくるような感覚に驚き、そして気付いたときには、大きな声が出ていた。

「う、う、……うわあああああああああああああんっ!!」

 その場に立ち尽くして、ボロボロ涙を流して大泣きする姿に面食らったのは、堂上と郁だ。何だ何だ、と隣の部屋の隊員が顔を出してきたので、郁は、すみません、と慌てて玄関のドアを閉めた。
 周りなんかまるで見えずに顔を覆うことなく、両手はグーで体の両側に下げたまま、桃はひたすら大声で泣き続ける。

 郁は桃の背中からランドセルを降ろした。
 そのままふわりと桃を横から優しく抱き締めたのは郁で、同じようにふわりと頭を撫でたのは、堂上だ。
 その優しいぬくもりに一瞬、ひっくひっく、と喉をつまらせたが、桃は自分の前に回された郁の腕をぎゅっと両手で掴み、その腕に声を吸い込ませるように顔を押し付け、また爆発したように大声をあげて、泣いた。

 
 しばらくして泣き疲れて眠ってしまった桃を和室の布団に堂上が運び、郁は寝ている桃の頭をそっと撫でて、二人とも和室を後にする。
 泣きじゃくる桃を目の当たりにしたからなのか、堂上も郁も今さらながら桃がまだ小学一年生の小さな子どもなのだと実感する。
 普段桃はしっかりしすぎるほどしっかりしているので、幼く泣く姿はあまりにもかわいくて。
 和室を出てから二人は顔を合わせて小さく笑った。

「今日はすみませんでした」
 郁が頭を下げようとしたのを堂上は止めた。
「気にするな」
 今日、堂上班は早く仕事が終わり、一緒に夕飯を食べる約束をして堂上が寮に寄ったあと、官舎に来たのだが、家の鍵は開いていて電気もついているのに誰もおらず、郁の携帯に連絡したら外で桃を探しているのだと言う。
 とりあえず家に帰ってこい、学校や桃の友人に電話してみろと、郁と交代して堂上が外を探すつもりでその部屋を出ようとした時に、        ちょうど桃が帰ってきたのだ。

「厳しく叱りすぎたか」
 堂上が聞くと、郁はふるふると首を振る。
「いえ、そんな感じじゃなかったです。怖いんじゃなくて、嬉しいのと悲しいのとごっちゃになってる泣き方でした」
 郁には桃の爆発した感情の正体がわかる。
「両親が亡くなった時以来です。声を出して泣いたのは」
 堂上が黙って郁の話を聞く態になったので、郁はゆっくりと話した。

 桃にとってよかったと思います。あたしがしっかりしてないから気が張っていたのもあるだろうし。今の小学校でも学級委員でがんばってるみたいです。しっかりものの桃ちゃん、っていろんな子から頼りにされているんですよ。

 新しい環境に慣れることで両親を亡くした痛みを忘れようとしていたのもあるだろう。
 だが痛みは奥底でずっとくすぶったままだったのだ。解放されず、こうして何かのきっかけで爆発するくらい膨らんでしまっていた。
 桃が地元ではなく武蔵野に来たいと言ったのは、両親と住む街を見ていたくなかったんじゃないか、と今ならわかる。茨城にある別の親戚の家に住んだとしても、両親と住んでいた家、両親と遊んだ公園を、桃は視界の片隅にでも見ていられなかったのだ。
 郁と一緒に住み、新しい環境で確かに悲しみは軽減されたかもしれない。だが、最愛の両親が亡くなった痛みは桃の奥底にずっと押し込められていた。新しい環境が、発散する場を与えていなかった。 

「だから、桃が思いっきり声を出せて、よかった」
 ホッとしたように息をつく表情は、少し大人びていて、堂上の感情を揺らす。桃の母親代わりになろうとしている郁の、その笑顔は桃を慈しもうとしている存在には違いなく。そのままで充分、桃には大切な存在になっているはずの郁なのだ、と堂上に伝わった。


 堂上は小さく息をつく。
「だったらお前はどうなんだ」
「は?」
 
「お前の泣ける場所はあるのか?」

 桃の母親になろうとする郁は誰も頼ろうとしない。頼られない事実に勝手に打ちのめされるのは堂上なのだ。だからだろう、かなり強引だと自覚しながら郁を問い詰める。
 郁が驚いたように堂上を見つめ、コクンと頷いた。
「泣きました。・・・・・・あの時」
 両親が亡くなった直後、堂上が駆けつけたときや、官舎に来てから一度堂上の胸で泣いたときのことを言っているのだろう。
 だが、大切な人を失った悲しみは直後よりも、その後の方がつらい。何かが欠けた感覚がふとした瞬間に何度も失ったことを再認識させてしまう。……そう、何度もだ。
 日々の忙しさに忙殺され、桃の保護者となった郁は、精神的な、現実的な支えとなるために強くあり続ける必要があった。
 両親を想い、いつまでも泣き続けることなどできなかった。

 ある意味、この姉妹はとてもよく似ていて、お互いがお互いの支えになろうとしていたのだ。
 郁ちゃんがいるから、桃がいるから、だからしっかりしなきゃ、とお互いが自分に言い聞かせなければいけなかった。表で笑顔を見せながら、心の中では膝を抱えて両親を失った痛みを抑え続けるしかなかった。
「桃はもう寝た。次はお前の番だ」
「え?」
 かわいそうだとか、慰めたい、とか同情ではない。堂上は自身の我が儘で郁の痛みを和らげたかった。他の誰かにその役をさせるつもりがないことがすでに傲慢でしかない。
「来い」
 強引だけではなく、傲慢だとも自覚しながら堂上が郁をじっと見つめると二歩分だけ空いた先にある郁の唇がきゅっと固く引き結ばれた。
 堂上は少し目を細めて、片手を郁に伸ばす。進まないと届かない距離に我慢ができなくなったのは郁の方で、堂上の大きな手の内側に一歩近づいた。
 だが、その一歩の位置で郁は戸惑ったように瞳を揺らめかせ、首を振る。
「あ、あたし……」
 堂上のまっすぐな視線から逃れるように俯いた。
「甘えてばっかりで、その、噂とか、……あるから、こういうの、は」
 言いづらそうに、ぽつりぽつりとこぼれる内容には堂上も心当たりがあった。
 こうして郁の家に出入りする堂上の行動は明らかに上司としての範疇を越えている。そのため、堂上と郁が付き合っているという噂が広がるのは当然のことと言えた。

「構わん」
 堂上のはっきりした否定に、郁が顔をあげる。
「言いたい奴には言わせておけ。そう思われていた方がいい。こそこそしてここに来るなんて冗談じゃない」

「でもっ! それじゃあ、堂上教官が誰ともっ……」
 付き合えないじゃないですか、という台詞は出てこなかった。喉がまるで拒否するように飲み込んだ。
「じゃあ、いいのかお前はそれで」
 畳み込むような質問に、郁が反射のように首を振る。首を振った後、「ちがっ!」と真っ赤になって自分の反射を否定する。なんだあたしっ!? 甘えた子どもみたいに!
「ごめんなさいっ、あたし、こんな、甘えたこと……」
「バカ」
 郁が自分の感情の吐露に驚いて進んだ一歩を引こうとする前に、堂上は伸ばしていた手で強引に郁を抱き込み、残りの一歩をゼロにする。
 後頭部を掴んで堂上の肩に郁の顔を押しつけた。
 一瞬、郁の体が固くなる。
「もっと甘えろ。……お前が甘える相手は俺じゃ不満か?」
「そんなっ!」
 顔をあげかけたが、後頭部にある堂上の大きな手がそれを許さない。
 もう片手で背中をトントンと優しく叩かれる。強張っていた体の力がふわりと抜ける心地よさに、すぐに郁の口から震えるような息が吐き出された。
 甘え方を知らない郁に、甘え方を教えるような、大きな手に、広い肩に、優しいぬくもり。
 自分より背が低いのに、すっぽりと包まれてしまうと郁は自分が小さな女の子になったような感覚に陥った。両親の代わりになろうと懸命に背伸びをして、しっかりしようと肩肘を張っていた気持ちが解れる。桃が泣ける場所も、郁が甘える場所もすべて与えてくれるのは、
 もう、ずっと、         堂上だけだ。

 桃のように大声を出すことはなかったが、静かにあふれる涙は堂上のシャツに吸い込まれる。泣く場所を与えられることがこんなにも安心できることに郁はひたすら感謝するしかなく、それでも、ありがとう、と言う言葉すら堂上に伝えられず、声もなく、ただ先ほどの桃につられたように心の奥底に溜まっていた痛みを流した。


 長い時間、堂上の腕の中で泣いた郁が恥ずかしそうに堂上の肩を押して体を離す。泣き顔を見られないように俯いたまま、なのに沈黙が耐えられない郁が口火を切った。
「あたし、気づきました」
「何をだ」
「堂上教官が結婚して子どもが生まれたら、きっと子どもは幸せなんだろうなって」
 家族ではない桃や郁にもこんなに温かい。だから、堂上が築く家庭はきっとそうなんだろう、と郁は想像しただけだ。そこに自分を重ねるほどずうずうしくはなれなかったが。

 だが、堂上は郁より遥かに強欲でずうずうしく、
 それは、            俺とお前の、
 などと言いかけて、焦ったように喉の奥に止める。
「どうしたんですか?」
「……いや」
 家族を失って間もない郁に何も言えるはずもない。
 今はまだ気持ちが桃のことだけでいっぱいの郁の頭をそっと撫でる。
 一瞬きょとんと驚いた郁だが、堂上の大きな手に甘えるようにふにゃっと表情を和らげた。

 泣き疲れて眠ってしまいそうなかわいらしい表情の郁の頭をゆっくりと撫でながら、早く本当の意味で郁の支えになれたら、と堂上は強く願った。






(終)

<みなとさん談>

長くなりすぎる気がしてアップするときに削っていた部分。図書館の夢4にチラッと書いたけど。
のりのりさんの三次SSに触発されてアップに踏み切った。(ジレジレ期だけどね)

 

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