+ おくさまは18歳 35 +  パラレルSS/にゃみさまのターン

 

 

 

 

その日のことは覚えていた。
忘れるはずがない。あの日を境に堂上の人生は変わった。
あのことがなければ、こんなに大切な存在と出会うこともなく、ただ暮らしていただろう。





あのけんかから、郁とはほとんど話をしていない。
郁のことが心配なのだと、今までそれだけを考えて行動してきた。でも、郁の言うとおり自分は郁のことを信頼しきれていなかったのかも知れない。
自分の感情を郁にぶつけるばかりだったと、郁に言われてようやく気付いた。

きちんと話をしなければと毎日思った。
けれど、家に帰って全身で自分を拒否している郁の姿を目にすると、その勇気がなくなってしまう。
でも、今日は出会ったあの日だ。朝に話をする時間はなかったが、帰ったら今日こそ話をしよう。許してもらえたら、ささやかでもお祝いをしよう。
そう思っていた矢先、抗争は起きた―――



こんな職業だ。銃弾が当たることはいつも覚悟している。
傷が大して深くないのは直感でわかった。
しかし、頭上を銃弾が飛び交っている。この状態では助けはなかなか来ないだろう。

そうしているうちに、自分の体からどんどん温かいものが流れていくのがわかった。
このままだと、俺はどうなるのだろう。
どんどん焦りが募り始めた。
こんなところで倒れているわけにはいかない。
早く、郁の元に戻らなくては。
そう思うが、体が重くて動けない。


―――郁―――
声にならない声でその名を呼びながら、堂上は意識をなくした。










輸血は無事に済んだが、堂上の意識は戻らないようだった。
それでも面会謝絶は解かれ、郁は柴崎と手塚に支えられながら堂上のそばに向かう。

窓際のベッドに堂上は横たわっていた。
「あつし……さん?」
呼んでみるが当然のように返事はなく、ピクリとも動かない。
そして、覗き込んでみたその顔は常にないほど白い。
胸にものすごく冷たいものが走って、郁は思わず後ずさった。
「笠原、しっかりして」
よろけそうになった体をまた二人が支えてくれるが、郁はまだふらふらとしたままだ。


その後どうしたのかはよく覚えていない。
堂上の両親と妹である静佳が来て、柴崎と手塚は帰った。
けれど、何もかもが夢の中のできごとのようだった。「郁ちゃん」とか「気をしっかり」とか声をかけてもらったような気がする。そのたびにどんな返事をしたのか。ただ、お義母さんたちはあたしと違って覚悟ができてるんだなとぼんやり思った。





家族控え室で、気付けば眠っていたようだった。まだ早朝らしいぼんやりとした光が窓から差し込んでいる。周りを見渡すと、堂上の両親も静佳も眠りこけていた。
病院の人間にも誰にも起こされなかったということは、堂上の意識はまだ回復していないのだろう。
眠ったからか、昨日と比べるとだが少し気分は落ち着いている。堂上のところに行くべきだろうか。そうも思ったが、またあの精気のない顔を一人で見るのは怖かった。
少し外に出てみよう。そう考えて、音を立てぬように部屋を出る。久方ぶりのように感じる外の空気は少し冷たく、涙で腫れた目に朝の光が眩しい。
と、前方から誰かが歩いてくるのが見えた。こんな朝早くから病院には人が来るのか。そう思いながらそちらをぼんやり眺める。すると、近づいてきたその影は思いもかけない人物だった。
「おかあ……さん?」
「……郁?大丈夫なの?」
たぶん事情を知っているのだろう、郁の姿を認めるなり心配してくれるその声。それを聞いた途端、もう出なくなっていた涙が溢れてきた。郁は母に駆け寄ってわんわんと子供のように泣いた。


郁の様子を心配した堂上の母が寿子に電話してくれたらしい。
病院の外のベンチに二人で並んで座った。いつも口うるさい寿子は郁の隣に座ったまま、ただ郁の話を聞いている。
「あたし……、あたし……何にもわかってなくて……、つまんない意地張って……篤さんとけんかしたままで……」
しゃくりあげながら話す言葉は、たぶんすごくわかりにくいだろう。
「おかあ、さんが……、心配してくれてた……のに……。そんな、危険な仕事の人と……結婚する覚悟、あるのって……」
まだ郁は18だし堂上が図書隊勤務だという理由で、寿子ははじめ結婚に反対した。だが、堂上が郁を助けてくれたことと、何度も通って頭を下げる熱意、そして何より父克宏の真摯な説得によって、何とか認めてくれたのだ。周囲へのお披露目やきちんとした結婚式は成人してからという条件つきではあったけれど。
それまで寿子はずっと心配していた。堂上が怪我でもしたらどうするの、そこまできちんと考えているのと。でもその意味を郁はちゃんと考えていたのだろうか。ただ堂上との事を認めて欲しい一心で、愛があれば乗り越えられる、そんなことばかり思っていたような気がする。
「あたし、ほんとに子供で……」
こんなんじゃいつまでも堂上に心配されてばかりでも仕方ない。郁は頭を落として、握り締めた拳に涙をぽたぽたと落とした。母の言葉を受け止めようともしなかった自分は何て幼かったんだろう。
こんな日が来るなんて思ってもいなかった。いつもどおりの日々がずっと続くと思い込んでいたから、のうのうと拗ねていられた。でも、もしかしたら、堂上はいなくなってしまうかも知れない。
「篤さん、もう、ダメかも知れない……。動かないし、顔だって真っ白で……。篤さんが……篤さんが死んじゃったら、どうしよう、おかあさん!」
今まで口にできなかった不安が胸までこみ上げてきて叫ぶように言うと、敏子が郁のその拳をぎゅっと握った。その力強さに郁は思わず顔を上げる。
「郁」
寿子は郁の体をぎゅっと抱きしめた。そうして、郁の背をゆっくりと撫でてくれる。
「あなた、堂上さんと一生を共にするって決めたんでしょう」
寿子はきっぱりと言った。
「そう決めたのなら堂上さんを信じなさい。信じたってどうにもなるわけじゃないかも知れないけど、ダメなんて言うのはやめなさい」
寿子にこんなふうに言われたのは初めてだ。いつも長々としたヒステリックな小言ばかりの人だとずっと思っていた。
なのに、まさかこの母親に助けられるなんて、思ってもみなかった。


涙の引いた郁を見て、寿子は立ち上がった。
「行きましょう。少しでもそばにいてあげるべきだし、意識が戻らなくても郁がいるのを感じてくれるかも知れないわ」
「うん」
郁も返事をしながら立ち上がる。すっかり明けた空は晴れ上がっていた。










―――篤さん……篤さん……

これは幻だろうか。
どこかから、郁の声が聞こえる。


俺は、どうなった?
堂上は混沌とした意識の中で考えた。
体が鉛のように重い。
頭がガンガン痛む。
あの後、恐らく気を失ってしまったのだろうということが何となくわかった。


―――篤さん……ごめんね。好きなの、大好き……

俺を呼ぶ郁の声はだんだんはっきり聞こえてくる。

きっとそばに郁はいてくれるのだ。

辛い想いをさせたのかも知れない。
また泣かせたのかも知れない。
でも、早く目覚めて、頭を撫でてやらなくては。
俺もお前が好きなのだとちゃんと伝えなくては―――


堂上は力を振り絞って、声のする方へゆっくりと手を伸ばした。


 

 

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(from 20121224)