+ おくさまは18歳 17 +  パラレルSS/にゃみさまのターン

 

 

 

 

 

堂上が目覚めると辺りは暗くなっていた。
郁が帰ってくるまでうたた寝していたのにまた眠るなんて常にないことだ。疲れていたのもあるが、きっと自分はこの状況への安堵感から眠りに落ちてしまったのだろう。そう考えて、傍らに眠る郁の髪をそっと撫でる。

あの日、郁の精一杯の想いを聞いた時から、ここから一週間も待てるものかというぐらい期待に胸は震えていた。正直なところ邪な考えが止まらなかったのも事実だ。
急いた気持ちで帰ってきて、久方ぶりの屈託のない顔を見て、郁のことをもう逃したくないと強く思った。初めてだったのに風呂にも入らずというのは申し訳ない気がしないでもない。けれど、それまで待てるはずがなかった。
郁も同じ気持ちであったと思いたい。

郁の顔を見るまで、また拒否されるのではないかという不安が少しはあった。
けれどそれは杞憂だったようだ。郁はこの間とはまるで違っていた。無理をするでもなく自分を飾るでもなく、堂上をただ信じてそのすべてを委ねてくれた。その事実は堂上を何よりも幸福な気分にしてくれた。

「ん……」
眠っている郁が身じろぎをする。
その顔はいつものとおりあどけない。けれど、どこか前とは違って見えた。
「もう少し寝てろよ」
堂上は目を細めて郁の髪をまたしばし撫でる。
郁がふにゃりと笑うのを見届けてから、堂上は立ち上がった。







郁が目を覚ますと、隣に堂上はいなかった。代わりに台所で作業をする音が聞こえる。
あたしも行かないと。そう思って立ち上がろうとするが、下半身がなんだかだるくて思うように動けない。おまけに体には何も纏っておらず赤面するばかりだ。
堂上にベッドに運ばれてからはただ堂上の与えてくれる熱に夢中で何も考えられなかった。けれど、こうやって目覚めてみると眠るまでのことがありありと思い出される。

抱きしめてくれる逞しい胸。
郁と名前を呼ぶ時の切なそうな顔。
頬にかかる熱い吐息。

そのすべてを思い出すと、なんだか堂上に会うのが照れくさい。
それでものろのろと台所に顔を出すと、気配に聡い堂上はすぐに後ろを振り向いた。
「もう起きたか。……体は大丈夫か?」
気遣われると、ますます自分は堂上とそうなったのだという現実感が増してくる。けれど、問いかける堂上の声はいつもよりうんと甘く柔らかく聞こえて、それが郁の顔を綻ばせる。
「うん、なんとか」
郁は小さく答えて、堂上の隣に立った。堂上はフライパンの中の具材を丼に入れるところだ。もう手伝うこともないらしい。
「ごめんね。……起きられなかったみたいで」
「ああ、ぐっすりだったな」
ちょうど作業を終えた堂上は微笑んで、郁の唇にちゅっとキスを落とす。なんだかそれが堂上らしくなくて郁は一瞬目を丸くした後、くすくすと笑った。
「……なんだ、文句あるのか」
拗ねたように堂上は言う。これはどうやら照れているらしい。
「ほら座れ、さっさと座れ」
誤魔化したいのかやたらと食卓に促すので、郁は更にくすくす笑った。



堂上の作ってくれた夕食は牛丼だった。
いただきますと手を合わせる。二人揃った夕食は随分久しぶりだ。
「今日はお前に特別おいしいもの食べさせてやろうと思ったのにな」
堂上は苦笑した。郁はとんでもないと首を振る。
「前にも言ったでしょ。篤さんが作ってくれるものは何でもおいしいし特別なんだって。それにそれ本当ならあたしの科白だよ。久しぶりに旦那様が疲れて帰ってきたのに何にもできないなんて」
早く帰って来られないのは仕方ないが、本当は堂上のために何かしたかったところだ。
「いや、お前には大事なもの貰ったからな」
堂上がさらりと言って、郁は一瞬で頬を赤くした。だが、堂上は郁から目を逸らさない。
「本心だ。お前の初めてを貰えて嬉しかった」
「そんないいものじゃないと思うけど……」
郁は下を向いて蚊の鳴くような声で答える。
「そんなことない。すごく可愛いかったし綺麗だった。見せてくれたことのない顔見せてくれたしな」
堂上はテーブルに置いた郁の手を強く握る。
「好きな女の全部を知れたんだ。嬉しくないわけがないだろう。………お前はそうじゃないのか?」
この間の宣言から、堂上は人が変わったように素直に自分の気持ちを言葉にしてくれる。堂上にどういう心境の変化があったかなんて郁には想像もつかない。けれど、堂上がそうしてくれるならその気持ちに応えたいと思う。
「あたしもすごく嬉しいです」
郁は小さな声で、けれどはっきりと言った。
目に見える何かが変わったわけではない。なのに、距離がずっと近くなった気がする。結婚までしてもうこれ以上素晴らしいことなんてないと思っていたのに、こんなにしあわせなことが待っていたなんて、なんだか夢のようだ。
「……おいしい」
呟いた自分の声が涙混じりになっていることに郁は自分で驚いた。あれ、おかしいな。そう思うのに涙は止まらない。
堂上が立ち上がって郁の隣に立った。見上げると、郁の方にやさしい手が伸ばされる。郁の気持ちをわかってくれているのか、堂上は黙ったまま郁をぎゅっと抱きしめた。ゆっくりと頭を撫でてくれる手に甘えたくなって、暖かい胸に顔を埋めて郁は泣いた。

堂上とひとつになれて嬉しい。
そう思うと同時に自分はひどく安心したのだ。



「悪かったな」
以前と同じように二人で洗い物をしながら、堂上は言った。
「え?何が?」
「……こんな時なのに、牛丼なんて色気のない食卓で」
堂上はバツの悪そうな顔をする。それが郁をまた笑わせた。
「そんなこと気にしないでって。そもそもあたしに色気なんてないし」
おどけながら答えると堂上は怒ったような顔をする。
「アホ、そんなことないって言っただろう」
少し険しいその顔が近づいてきて、郁の瞳を見据えた。濡れたままの手で顎を掴まれたかと思うと、そのまま唇を重ねられる。あっという間に舌を捉えられて、覚えたばかりの貪るようなキスをされる。
「ん……んん……」
激しく舌を絡められて息ができない。けれど、体の奥がきゅんとなる。唇を離された瞬間に堪えきれない吐息を漏らすと、堂上は満足そうに目を細めた。
「ほら……な」
堂上の息も少し上がっている。

「あの……ね。それ、こんなところではしないでね」
少し落ち着いてから郁は堂上に囁いた。
「なんでだ。イヤか?」
穏やかに堂上は訊ねる。
「なんか……その……やらしい気分になっちゃうっていうか……」
消え入りそうな声で郁は呟いた。
途端、堂上が口元を手で覆う。
「……お前……」
郁から見えるその顔は真っ赤だ。
「……頼むから、俺をこれ以上悩ませないでくれ……」
「悩ませるって……?」
弱りきった様子の堂上に郁はきょとんとした顔をした。


 



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(from 20121022)