+ 想望 + 堂上篤生誕お祝い2014 つしまのらねこ様との共通プロローグ企画 上官部下期間 Writer のりのり
目を開けるといつもと少し違う光景が広がっていて、状況を把握するまでに一分もかかった。
寮の自室に似たような天井だったが高さが違う。
そして自分はスーツを着たまま糊のきいた真っ白なシーツの上に横たわっていた。
少なくても一日の始まりの朝ではない。
ああ、此処は医務室か。
以前は切り傷擦り傷などで世話になることも多かったが、最近は自分の為に此処に来ることは減っていたはずだ。
さらに一分ほどかけて登庁後の出来事を振り返る。そうだ、笠原の泣き腫らした顔についてのあれやこれやでいきなり投げられて―――今に至るのだと、思い出した。
気がつけば身体が宙を舞い、痛いと感じるのと同時に記憶が途絶えた。
ゆっくりと身体を起こして、痛みの箇所などを確認する。あちこち触ってみるが、幸い酷い痛みはないように思えた。
ベッドの脇に足を下ろし、衣服の乱れを整えると、カーテンの向こう側にいた産業医に声をかけた。大丈夫だと声を掛けたが、軽く聴診器をあてられ、身体の状態を確認してから解放された。
腕時計に目をおとし確認すると、意外にも時間は経っておらず、就業開始ギリギリの出来事だったとしても二十分も経ってないようだ。
小牧が運んできた、と耳にしたがあいつらはどうしたか?
医務室を出ると、訓練速度で特殊部隊事務室まで戻った。
「堂上、大丈夫か?」
自席で書類に目を落としていた緒形副隊長が顔を上げた。既に始業時間を過ぎているため、他には誰もいなかった。
「ご心配お掛けしました、平気です。で、うちの奴らは・・・」
「小牧の指示で手塚は狙撃訓練に合流した。笠原は、まあちょっとしたパニックになってたから訓練室の道場に持って行かれたはずだ」
「わかりました」
まあ、お前らの班はいつも賑やかだな、とでも言いたげな含み笑顔で緒形は頷いた。郁のプライベートの事で班の訓練予定が変更になったのは失態ではあるが、何せ相手が『手塚慧』であったという面は配慮に値するかもしれない。そのためにも、あいつが話せる事だけでも聞きたい、そんな考えで道場へと向かった。
両開きのドアノブに手をかけ、少し扉を開いたところで郁の声が聞こえた。誰かと、話している、このタイミングでは小牧だろうと簡単に想像がついた。
「絶対、堂上教官には言わないでくれますか」
突然自分の名前を口にされて、堂上は中に入ろうとした動きを止めた。
「手塚慧が・・・・・・堂上教官があたしの王子様だって」
―――郁が『王子様』の核心に触れた瞬間だった。
◆◆◆
予想外の郁の独白に堂上の動きが止まった。今、このタイミングで、まさか手塚慧からとは―――
泣きはらした郁の顔、そして動揺してうっかり自分をぶん投げた事が、一つの線で繋がった。
「・・・・・・子供じみた嫌がらせが好きな人だね、どうやら」
正論しか口にしない小牧が否定しないことで、郁にもそれが本当のことだと伝わっただろう。
「あたし―――あたし、王子様の正体が分からないから安心して憧れてて・・・・・・」
王子様と堂上教官を比べるようなことも、ひどいこともいっぱい言った、そして堂上に憧れて図書隊に入る子供なんていないって。
―――続いた郁の言葉に、あの時、何も言い返せずに無表情を装えなかった自分を思い出す。
今の俺なら図書隊に入ってなかった。それが正しい。
郁の王子様であることを緘口令まで敷いて否定したのは自分なのに。
あの時、目の前で郁本人に言葉にしてぶつけられると、酷く心が冷えた。
いつもの調子で皮肉を含んだ軽口などで躱すこともできず、傷ついた事を顔に出してしまった。
―――真実を知ったことで、あいつはどう出るのか。
それ以上にどちらの立場と思いを理解している小牧がどう受け答えするのかを知りたくなくて、道場の扉をそれ以上深く開けること無く、堂上はそこを離れた。
小牧に同情されるのも、それをフォローされるのもうんざりだ―――全て自業自得と解っていながらも、酷く小牧のせいにしたかった、その場から逃げ出した理由を。
◆◆◆
冷静になろう、と道場を離れてゆっくりと庁舎の階段を一番上まで昇る。重い鉄の扉のドアノブをひねって屋上へ出ると、俺はまだ気を失っている時間だからと自らに言い訳して、外の空気を吸い込んだ。
―――フェアじゃないことはわかっていた。
『でもあたし、その本屋さんにいたのが堂上教官だったら図書隊員になりたいとは思いませんでした!』
凛とした背中を俺に見せ、自慢の脚でここまでついていきた郁に面と向かって告げられた言葉はいつまでも耳に残っている。
俺を傷つけた、なんて今更泣くな。
お前が泣くような厳しい道を選ばせた俺に、お前が泣くな。
―――お前に泣かれると、俺があえて厳しく辛くしてきたことが自分勝手なことであったと認めざる得ない。
郁はただまっすぐなだけだ。
だから熱くなり、突っ走って、傷つく。冷たく切り捨てても、片手だけ差し伸べただけだとしても、結局ここまで、自分の脚で図書隊に、特殊部隊についてきた。
その事実を否定して、これ以上奴を切り捨てる必要はない。むしろ―――
奴が泣くその傍らにいたのが小牧ではなく俺自身だったら?
正直、何を口にすべきか、たぶん動揺しすぎて解らないだろう。投げ飛ばされて、うっかり緩んだ蓋はどうにかなってしまっただろうか?
―――そんな事が頭をよぎったなんて、俺は投げられてとんでも無いところを打ち付けてしまったのではないか?と自分に疑念を抱いたくらいだ。
◆◆◆
小牧が冷静になる時間をたっぷりと与えたらしく、郁が事務所に戻ってきたのは昼休憩間際だった。
既に意識をとり戻して事務所で書類仕事をこなしていた堂上に、開口一番頭を下げた。
「本当に、すみませんでした!」
「・・・いや、俺も悪かった。私信に上官権限を振りかざすのは間違いだった」
「でも!」
「もういい、昼だ、飯行くぞ」
画面のファイル保存を素早くクリックして隣の小牧にも昼休憩を一緒に促し立ち上がった。
「あ、あたし昼、銀行に行くので!食堂へはお二人でどうぞ!し、失礼しますっ」
動揺した様子のまま郁は自分の用件だけいうと、踵を返してそのまままた事務所を出て行った。
「・・・体よく逃げられたね」
「構わん、これ以上謝罪されるよりは」
「自分にも否があるから?」
「・・・手塚慧(やつ)の件でこれ以上煩わされたくないだけだ、気分が悪い」
「ふうん」
今日の昼は堂上と二人きりじゃ士官食堂かなぁ、などと思いつつ小牧は意味を含んだような相づちを返した。
その後の郁は、堂上の予想を軽く超えて―――普通だった、と思う。
王子様に、俺に何かを告げにくるのか。あの人に会って、お礼を言いたい、と言っていたはずだ。
そんなことも堂上の頭には過ぎったが、それらしき様子は見せずに数日が過ぎた。
あいつの王子様が、俺であった現実に黙り込むほどの衝撃だったのかもしれない、とさえ思った。
もしくは、王子様王子様、と騒いではいたが、実際には何とも思っていなかったとか?または今更、鬼教官に礼を述べる気はさらさらないとかな、そんな風にさえ思えて自嘲した、意識してたのは自分だけだったのかと。
自分ばかりが奴の王子様だという事に翻弄されるのは、きっとあのとき投げられて蓋がガタついたせいだ。
ただそれだけだ、と唇を噛み締めた後、自室で煽るビールをもう一本開けた―――これを飲み干したら、蓋を頑丈に留めると決意して。
◆◆◆
特殊部隊に女性隊員を配置したのは、いつかこういう事例も起こりうる、という想定の上でだったのかもしれない。玄田や上層部の未来予想が現実となった、図書館内での囮捜査。
図書館利用者に紛れて、犯人を釣り上げる。もちろん犯人を挑発するために郁の美脚は惜しげもなく披露できる衣装に身を包んで。
そして、痴漢犯として現行犯逮捕を決めるためにはその身を危険に晒し、恥辱に耐えさせねばならなかった。当然仕掛ける方も、護る方も、気分の良いものではなく、むしろこんな形でしか逮捕できない現状を歯痒く思う。
「何かされたか」
「足を触られました。あとスカートの中に手を入れられました」
郁の言葉に、握った拳が白くなった。
「それだけです。全然――大したこと」
「大したことじゃないとか言うな!」
怒声を上げたことに郁が息を飲んだ。俺が怯えさせてどうする、と「よくやった」と褒めてから逃げるようにその場を立ち去った。
卑劣な犯罪に、卑劣な方法を受け入れる事でしか犯人を釣り上げられないのか、と思うと情けない。肌を這う気色悪さをものとせず、毅然たる囮の役目を果たそうとした図書隊員としての郁の覚悟に―――少なくても、もう部下としても手放す選択はない、と自覚した。
憧れの王子様が俺だとわかって失望したとしてもなお、俺の隣に立ち、共に駆けていこうとするのであれば、俺のするべきことは決まっている。
進むべき道に導き、本と共に部下のお前を護ることだと。それ以上でも、それ以下でもない。
ガタついた蓋は再び閉め直したのだから。
一方の郁の方は『王子様は堂上教官だ』ということを知ってしまった事を、未だ堂上は知らないと思っていた。
毬江ちゃんの、痴漢犯の一件が落着しても、堂上とのことは落着していない、そんな思いを密かに抱えていた。
あたし、普通に振る舞えてた?ちゃんと部下として尊敬する上官としての堂上に向きあえてる?―――自分の中の答えはNOだ。
言い逃げができるタイミングを考え、課業後で堂上が残業している時を見計らって声をかけにいった。
「堂上教官」
「ん、何だ?」
顔を上げられて目が合うと赤くなってしまいそうだったので、入れ違いで大きく頭を下げる。
「こないだ、すみませんでした!」
いきなり大きく謝られて堂上は驚いたように肩を引いた。
「いきなり何だ!こないだってどれだ!?」
そう咄嗟に返したが、郁が何を謝り、どこまで口にする気なのか定かではない以上、この場でやりとりを続けるのはいただけない。郁が謝罪の訳とその先の言葉を口にする前に堂上が口火を切った。
「謝罪されるようなことは何もない」
一旦郁に向けられた視線を、堂上は言葉でも断ち切った。
「でも、あたし上官を投げるとか!」
「いや、元はと言えばお前が見せたがらず、相談もしてこない以上は、上官だからって俺が出る幕じゃなかった」
郁の動揺の理由はわかっている。憎き鬼教官と王子様が結びついたのだ、無理はない。そんな野暮なこと、大人相手に口にする気は無かった。その郁に芽生えたはずの感情を思うと―――俺はどうやら、辛いらしい。
その場を離れようと、用事でも見つけた風体で立ち上がる。その背に、
「相談するべき内容だったら堂上教官に真っ先に相談します!」
まるで、あの時の。
郁が書店で検閲に立ち向かったときのような意志のある言葉。
「・・・ちょっと出る。来い、笠原」
離席を告げる必要はなかったが、そう小牧に伝えて堂上は郁の手首をつかみ事務所の外へと連れ出した。無言のまま向かったのは、人気のない道場だ。
「悪かった」
その謝罪の言葉が、本当は何を意味しているのか、きっと郁には伝わらないだろう、と思いながら口にした。
あの時かざした権限で、郁の人生を危険な道へと変えてしまったことをどこかで謝罪したかった。
感情に流された行動を恥ずかしく思い、そんな自分を今の思慮深さと冷静さを身につけた自分へと変えさせてくれた。
だが、本当の事を知らなかったお前は、ただ憧れを口にし、それを否定する俺にさんざん噛みついてきた。そんなことをさせたのは、頑なにあの時の自分を、お前の王子様を俺が否定してきたからだ。
憧れて貰うような、そんな人間じゃない。
過去の自分に対する恥ずかしさを、郁への扱きに変えていたかも知れない。そう思うと、謝るべきは自分だと、そう思えた。お前はただ、あの時の俺に礼を述べたかっただけなのかもしれないのに、俺の些細なプライドが郁の感情をこじらせたと。
だが、そう思っているのが堂上だけだ。
「なんで、教官が謝るんですか」
「お前は嫌だったんだろう」
俺が、お前の王子様で。口にしなかった一言なのに、自分の胸に突き刺さる。おれはこいつに、どうして欲しかったんだ?
「痛い思いをしたのも、傷ついたのも教官じゃないですか!だからあたし・・・」
伏せた目を、顔を、ぐいっと上げて宣言した。
「あたし、王子様からは卒業します!」
その場でまた堂上は凍り付いた。
◆◆◆
結局、堂上が解凍されるまで数分が経過した。
「王子様のことではしゃいだり、正体探そうとしたり、そういうのは一切やめます」
正体を探す、それは堂上だと知った上で、気絶したままだったと思っている郁の決意だった。
「あたしが六年前に会った三正は六年前の三正で、もしも会えたとしても今は同じ人じゃないはずだから」
あたしもあの時の女子高校生のままじゃない。
王子様に憧れて入った図書隊は、正義の味方ではないし、紆余曲折があって武器を手にしてまで本を守っているという現実を知った。あたしも変わっただろうが、あの人も当然変わっているはずなのだ。本人を目の前にして、今の堂上教官を自然に好きになりたい、そんな思いや迷いを上手く言葉にするのは難しい。
「あたしは六年前のままの三正が好きなんじゃなくて、まだ辞めてなかったらきっと今も図書隊のどこかで頑張っているその人を好きになりたいんです。六年前の王子様だったからじゃなくて。そのために、その人の恥じない自分になりたいんです。だからもう、」
――― !!
『好きになりたい』
その言葉に耳を疑った。
堂上が王子様だとわかっていた上で、王子様が堂上だとは断言していないのに、今の堂上を好きになりたいと、その人に恥じない自分になりたい、と確かに郁は述べた。もちろん王子様バレの事が堂上にわかっていないという前提での宣言だったが、堂上が締め直した蓋を再びぐらつかせるぐらいの破壊力は充分あった。
「笠原」
堂上は漆黒の瞳で郁の目を見据えた。必死で言葉を紡ぎながらも、それは決してその場を繕うものではないと郁の褐色の瞳も教えてくれた。
魅入られたように、堂上は左手を郁の右頬へとゆっくり伸ばした。冷えた道場の空気で冷たくなった掌が、温もりのある郁の頬にゆっくりと触れた。
「お前は、あの時の王子様を卒業して、今の王子様を好きになりたいというのか?そいつが見つかってないのに?」
たしかに、それでは王子様卒業、というのとは少し違うかもしれない。言葉選びを、間違えたか、うん、でも・・・
「・・・わざわざ、王子様を探したりは、しません。いつか、あたしがその人に恥じない自分になれたら、きっと認めれてもらえるような気がするんです」
だから騒いだりは、もうしません。
そう、宣言をした郁は晴れやかにこの事に、自らの気持ちに一度は決着をつけた。
◆◆◆
―――不自然、だっただろうか。
小牧の言うとおり、堂上に惹かれているのは王子様だったからか、上官として憧れ始めたからか、まだ自分の気持ちがすっきりと見えているわけではない。
だが、この人と共にありたい。
憧れた背中が重なったいま、目指すのはこの人でしかあり得ない。
『恥ずかしいです!』そう小牧に答えたとき、俺たちも一緒だよ、と教えてくれた。
王子様だと騒ぐことで恥ずかしい思いをさせてたのであれば、それは卒業したいのだ。
六年前の俺を卒業して、俺を好きになりたい。
求められているのは、男としての俺か、上官としての俺か。蓋がぐらぐらと揺さぶり続けられる。
「お前の憧れる『今の王子様』が見つかったら、好きだというのか?」
「いえ・・・」
王子様卒業宣言をしたからといって、いきなり告白して、通るような相手だとは思っていない。そもそも、郁は好きになりたい、と思っていてもこの人自身はそんな気持ちを持っているのか定かではない。そこまで―――自惚れてない。
「そいつはきっと、お前の事を知っている。そしてお前の事をよく見ている、と思う」
必死で、目の前の人にばれないように卒業宣言を伝える言葉を紡ぎ、堂上をずっと傷つけていたことを思い泣きそうなのを必死におさえている郁の頬をゆっくりと引き寄せ、自分の肩口に乗せた。
「お前が、図書隊員として精進しつづければ、きっと『よくやってるな』と告げてくれるだろう」
ぽろり、と落ちた一つ二つの涙粒が、堂上の肩口をわずかに濡らした。
「だがそいつが図書隊員としてじゃなく、一人の男としてお前を認めたら・・・お前はどうする?」
ゆっくりと堂上の口から語られた問いに、へ?と郁は顔をあげた。
「そ、そんなの!わ、わかりませんよ!だ、第一、あたしそんな経験とか全然ないしっ!」
「妙齢の女が、立派な図書隊員になることだけ目指すだけで恋愛捨てていいのか?」
「す、捨ててませんよ!だいたい、教官はどうなんですか?!」
「俺のことは、王子様とは関係ないだろう」
うわー、今まで王子様の事話してたのに、そんなときだけ教官逃げるとか狡い!
「そもそも、目の前にいる手の掛かる部下を見守るので手一杯だ」
さっきとは違って、少し強引にまた郁の顔を自分の肩口に乗せると、反対の掌で柔らかい髪をわしゃわしゃと撫でた。
「励めよ、待ってるから」
―――?!
小さく耳に届いた言葉に、郁は耳を疑いながらも頬を赤く染め上げた。今は心の中で、はい、励みます、と返すのが精一杯だった。
fin
(from 20141229)
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