+ 豪雨 +  ジレジレ期

 

 

 

それは突然の豪雨だった。+


梅雨時期なので天気予報はずいぶん気にしながら出かけたのだが、深夜にしか降らないと予報だったので、当然傘は持参していなかった。
都内の古書店から、検閲対象になっている本を十数冊ほど引き取って欲しいという連絡をうけての日帰り出張だった。
堂上も郁も書籍を入れてこれる大きめなショルダーバッグを抱えていて、駅からわずか数分程度歩いた所でその豪雨に襲われた。


「まいった。思ったより早く来たな」
駅を出たときから、雲行きが怪しいのはわかっていたが、後わずか15分もかからないからと早足で帰還しはじめた所だった。
自分たちは今更濡れても構わないと思ったが、持っている荷物が貴重な本なので、これ以上強行突破する訳にもいかない。
堂上と郁はとりあえず近くの定休日らしき店の軒先に入った。


歩道脇の排水溝で飲み込みきれない雨水が路面に広がる。
雨の音の激しさに、すぐ隣にいる堂上との会話もままならない位だ。
「寒くないか?」
「はい、なんとか」
日中は真夏日に届くような暑さだったせいもあり、節電やクールビズが唱われるご時世、ノーネクタイで上着も着用していない。
そのため、濡れたシャツがそのまま地肌にへばりつく。
隣に立つ部下の様子を見れば、シャツの下のキャミソールのラインが露わになり、その姿に自分の中の何かがゾクリとざわめき立つ。
「本さえなければ、このまま突っ走っちゃうんですけどね」
降りしきる雨のカーテンに目をやりながら郁はそう口にした。
「日中暑かったから、今なら雨のシャワーも気持ちいいかも」
「シャワーなんて量じゃないだろう」

数メートル先も見えないのにシャワーな訳ないだろう、この雨。
それでも、普段から「暑い、暑い」と大騒ぎするこの部下は、本さえなければ「基地まで走ります」などと言いかねない。
馬鹿だからな。
堂上は何も言わずに隣に立つ郁の手を取った。
触れた瞬間、郁の躰がビクンとほんとに小さく震えた。
------教官?

突然の堂上の行動に、問いかけようとしたのに声にならなかった。
「お前、本の事を忘れて飛び出して行きそうだから」
「わ、わすれてませんよ」
だが、その掌は郁の掌と心を掴んだままだ。
雷雨は日中の暑さを溶かし、そのままひんやりとした空気をまとい始めた。
油断して濡れ鼠になると、こんな時期でも風邪をひきかねない。

堂上の掌の包み込むような大きさと、自分の掌の熱さ。

郁は手を握られたまま俯いて、さりげなく繋がれた手へ視線を落とす。
大好きだと自覚している人と繋がる手。この手を離したくない。このまま離さずにこうしていたい、といったら自分は邪だろうか。
何も言わず握られていた手を郁の方からぎゅっ、と握り返した。


ぎゅ、と握り返された手に堂上の想いが上昇した。
その愛しい掌を指を滑らせて郁の指と絡めた。絡めたまま流れて郁の手の甲を指が撫でる。白く柔らかい手に続けられる愛撫で郁の体温も上昇した。
「.....きょう...かん...」
そのとき、初めて隣に立つ上官の顔を見た。
その横顔は一見、いつもと変わらぬ仏頂面の様であったが、見たことのない男の教官の顔がそこにあった------苦しげでありながら、精悍な男の熱情をまとった表情。

郁の心臓がドキリと跳ねた。
初めて見るその表情に声を失った。郁の視線に気づいた堂上はようやく郁に顔を向けた、熱い視線で。


濡れた髪がまとわりつく額。赤く染まる頬に濡れた唇が目に飛び込む。その唇に視線が釘付けになるとき、再び瞼の裏にあるシャツの下にうっすらと浮かぶ白い肌が堂上の熱情を極限へと導く。

郁の顎を手に取りそのまま自らの唇へ引き寄せた。
甘く濡れた、その愛しい唇に貪りつく。
郁の瞳が突然のキスに大きく見開かれたが、すぐに強く瞑られた。
息もできないほどのキス。
強く瞑った瞳は緩く潤み始めた。



堂上からの突然のキス。初めてのキス。
なぜとか、どうしてとか、そんなことがよぎったのはほんの一瞬だった。
ただわかるのは、ぶつけられた熱情と、その甘いキスの気持ちよさ。
苦しいのに気持ちいい。
交わされた言葉は一つもないのに、堂上の本気が伝わる。答える術なく、堂上にされるままの行為に酔う。
郁が自らの躰を支えられずに堂上のシャツを掴むと、堂上の腕が郁の腰に伸びて引き寄せられた。
その間も止むことのない雨とキス。



豪雨のカーテンに隠れて二人はただ唇を重ねた、その雨が止むまで。
繋がれた手だけはそのまま、二人は帰路に着いた。そして互いへの愛しさを胸にして、ようやく二人のメロディが回り始めた。




fin

(from 20120717)