+ 眼差し 4 +

 

 

 

 

初めての隊の飲み会で、谷島は婚約者がいる、と公言した。
新入隊員で婚約者持ち。しかも女性で特殊部隊隊員。命の危険すらあるのに、すごいな、お前の婚約者、よく許したなー。
宣言のあと、谷島はさっさと先輩隊員の方へ連れて行かれて酒の肴となったが、肝心の婚約者については外部の人間ですから、とそれ以上は語らなかったらしい。



そんな話で盛り上がった飲み会から半月が過ぎた。



新人を含めた堂上班の勤務もずいぶん慣れてきた。
そして、来週からは久々に奥多摩訓練もある。新人も2週間だけの行程なのは珍しい。
事情は郁にはわからないが、こんなときはまた堂上班にしてもらえてよかった、と郁は思う。別の班ならお互いが別行程で出向くと1ヶ月会えないことになるから。
ぼんやりとでも、心の中がもやもやした状態で、堂上と離れたくなかったし、また新人について堂上が1ヶ月以上奥多摩入りすることになったら...と思うと不安はつきない。

何かの折に、また堂上班にしてもらえて良かったです、と玄田隊長に話したら、「お前の暴走は堂上でないと止められないからな」と豪快に笑われた。
「そんな暴走しませんよ!何年目だと思ってるんですか?」
と突っ込んでおいたが、隊長の気遣いがうれしかった。

奥多摩、久しぶりだな、と郁は事務所で休憩を取りながらぼんやり考えていた。
教官職が長かったのであれから今ひとつ、訓練で自らを鍛え上げてない気がしていた。
郁にとっては、新人2人と一緒に奥多摩に行くのは初めてだ。
「あ、そういえば、谷島の体調管理...」
行く前に確認しておかないと、と気づいた。
自分の時は、言いにくいだろうが堂上がきっちりと聞いてきた。それもリスク管理の1つだからと堂上は割り切っていたからだ。
そういえば、谷島は婚約者がいる、と言ってたけど、篤さんは知ってたのかな?
でも、そう解っていたらいくら優秀だとしても、特殊部隊に配置するだろうか?

実は、その婚約者の事を谷島に直接聞いてみようか、と何度か思った。
だが彼女は飲み会の時同様、外部の人間ですから、気にしないで下さい、と言うばかりでそれ以上の事は全く出てこなかった。
堂上のいうリスク管理としては、聞いておく必要が在るんじゃないのかな?それは行き過ぎかな?
彼女の上官として、郁は一応悩んだ。


堂上班の午後の業務は閲覧室業務だった。
郁は事務所を出て図書館に向かう前に寄ったロッカールームで谷島と一緒になった。
「閲覧室行くところ?」
「はい」
二人は一緒に図書館へ向かった。


「谷島、来週からの奥多摩訓練の時、体調はどう?その、女の子の方の事だけど」
歩きながら郁は訊いた。
「3日前に終わったので、来週は大丈夫です」
「なら良かった。変な事聞いてごめんね、部下の体調管理も仕事のうちだから」
「はい、大丈夫です」

歩きながらもしばしの沈黙。それを谷島が破った。
「郁さん、いえ笠原三正の体調管理は、やはり堂上一正がされてたのですか?」
「そうだよ」
「お付き合いされる前からですか?」
「うん、最初からね」
今なら、聞きたかったことが訊けるかもしれない。

「谷島はさ、戦闘職種に就いてて.....その、婚約者さんは大丈夫、なの?」
「はい。私、早く一人前になりたいんです。あ、もちろん早くといっても、すぐに先輩達と同じレベルになれるはずはないですけど」
「ん、谷島はがんばってると思う。でも、その...特殊部隊は防衛部の女子とは全く違って、男子隊員と内容は一緒だよ?危険だと言うことも、もちろん」
今度はしばしの沈黙があった。
「.......はい。覚悟、できてます、追いかけたいから」
そのときの谷島はちゃんと前を見据えて答えていた。そしてもうすぐ図書館の通用口だった。
郁は谷島に「誰を?」とは訊けなかった。一番、訊きたかったかもしれな事だったのに。



閲覧室業務は班といっても、各自ばらばらに業務に就く。
返却図書を棚に戻しつつ利用者サービスに気を配る。レファレンスももちろんだ。
だが、谷島の指導を言われているので、郁は普段の作業をこなしながら、彼女の様子を時々窺う。
自分も新人のときは、そうやって堂上や小牧にさりげなくフォローされてたな、特にレファレンスの時とか。
ずいぶん前の事だが、ずっと下っ端だった郁はそう言った指導はしたことがなかった。
立場は変わって改めて気づく、上官達の気遣い。特殊部隊でなければ、自分の年齢なら当たり前のように部下の指導をしている立場だ。

きっと、こうしてあたしもまた、育てられてるんだな。

谷島の面倒をみろ、と言われたとき、正直、彼女に対していろいろなもやもやを持っていた事もあって、少し嫌悪感があった。
嫌悪というのは正しくない。彼女に今の自分たちをかき回されてしまうような、恐怖という先入観を持っていた。

だが、先入観に反して、彼女は図書隊員としてがんばっている方だと思う。
郁のような無鉄砲ではないが、一生懸命走っているのがわかる。
彼女の目指すものは何か?追いかけているものは----------何?



視線を向けると、谷島はちょうど利用者にレファレンスをしていた。
雑誌コーナーに案内しながら、何かを話していた。特に手助けは不用なようだ。
そして、彼女は利用者に会釈をすると、返却図書のワゴンへもどりながらも、別の利用者にレファレンスをしていた堂上の方へ、その眼差しを向けていた。
---------ふと、向いただけとは思えない、長い間。

彼女の向ける眼差しの先にいる堂上は、妻の欲目無くしても格好いい。
普段なら「ああ、あたしの旦那様はやっぱり素敵だ」だけで済むのに。

彼女の眼差しの中に潜む気持ちまでは--------郁の方からは見えなかった。
郁は無意識に小さなため息をついた。






◇◇◇






新・堂上班にとっての初の奥多摩訓練は、なんとか無事に終了した。
4人の新人にとっては2度目の奥多摩にはなったが、訓令内容はより実戦実技に近いものばかりで、当然最後にはお約束の野外行程も実施された。
新入りにはやはり半端な行程ではなく、谷島はもちろんのこと、防衛部出身の男子も結構バテバテになっていた。


新隊員が配属された班は通常1ヶ月半の奥多摩訓練を実施し、最低「班員として実戦でも足を引っ張らないレベル」まで引き上げるのだが、
今回は既存班同様の2週間で切り上げられたのには理由があった。
世の中でいう夏休み期間に合わせて、武蔵野第一図書館では「太平洋戦争」に関するつい最近蔵書として寄贈された古い書籍や軍会議記録書などを含めた貴重な資料を一般公開するためだ。
一部は赤裸々らな米軍批判の内容もかかれており、書籍と言うよりは日記のようなものに近いものも多く、メディア良化法の立場からいえば、外交的にもとても一般公開すべき内容ではないと
最初から申し入れがあるいわく付きだ。

その警備シフトを組む都合と、各部署で交代で夏休みをとらせるためどうしても2週間以上の訓練をつけることができなかった。
良化特務機関の検閲は一般公開前日深夜ではないかと予想されていたが、それに反しして公開から3日目深夜に展開された。


「谷島は小牧班の手塚について狙撃班へ。後の指示は進藤三監に仰げ」
「はい」
奥多摩訓練時に郁は初めて知ったことだったが、谷島は学生時代弓道部に所属していたためか、遠目視力がすこぶるよく、腕がぶれないため、射撃能力はすぐに折り紙付きになった。
あとは経験だけだな、と手塚が話していたのだ。
新人班員一人だけを他班に出すのは心配だが、手塚がそういうのであれば大丈夫だろう。


一般公開4日目にあたる明日は休館日だ。
休館日の警備は基本的にオンラインセキュリティシステムで全館立ち入り禁止となる。
公開期間には当然なんどか休館日はあるが、こういった場合、検閲対象になる資料をどこで保管するか、カモフラージュも含めてそのときの判断でランダムに決められている。

実は今回は図書館展示室にそのまま保管となった。
閉館後に庁舎へ荷物を厳重に運ぶスタイルだけとった方が、カモフラージュだった。
その作戦がどこまで良化隊に漏れているか?
庁舎にしろ、図書館棟にしろ、出入り口をすべて防衛員で固めて、狙撃部隊は車両出入り口となる二カ所を重点的に狙える位置へつく。

図書隊は図書基地外にいる良化隊員に対しては銃を撃つ権利を有していない。
良化隊員は銃の発砲許可を持っているのに、銃以外の方法で敷地内に侵入する隊員を阻止するのは無理な話だ。
となれば、結果として、まずは良化隊員を基地内に踏み込ませるしか、仕留める方法は無い。

侵入してくる方もそれを十分わかっているので、かなりの策を練って館内への侵入を試みてくる。
屋上にいる狙撃班が足止めしつつも、最大限に照らされた夜間照明の中で蠢く良化隊員を見つけようとするが、すべての部隊の動きを察知するのは難しい。
自分たちの視角にいる、どの部隊が本気で館内に入る予定の部隊なのか、その動きを見極めろ、と手塚は谷島に教えた。

当然のことながら狙撃の効果があるのは図書基地内に入ってから数十分程度でしかない。
建物に近づかれたらあとはそれぞれの出入り口を防衛している各班の隊員に任せるしかない。
その時、自分たちの後ろ出から闇夜には似つかない白い煙が立ちこめていることに谷島が気づいた。
「手塚三正、後ろの様子が」
谷島に声を掛けられた瞬時に同じ事に気づいた手塚はすぐに無線を掴んだ。
「食堂棟方面から白煙です、確認済みですか?」
「いや、下からは煙は立ってない、食堂棟屋上かもしれん」
ノイズが混じりながら状況報告が返ってきた。
「行きますか?」
谷島が手塚にきいた。まだだ、と制止するように手塚は手にしているライフルを谷島の前へと出した。
「進藤三監、食堂棟屋上確認のため、手塚と谷島で向かいます」
「了解」
行くぞという合図の代わりに銃を自分の身体の方へ引き、手塚は谷島と共に反対側へと急いだ。


白煙の上がり方からして食堂棟屋上からだとういことは間違いない。匂いがないので白煙筒だ。
そこに人がいるかどうか?
「待ってろ。これ以上身体を上げるなよ」
谷島にそういい、手塚は再びライフルを手にする。が、腕を伸ばして銃を身体から遠手にし、わざと赤いレーザーを白煙の方へ向けた。
それに反応して銃弾が一発手塚の伸ばした腕の側を掠めた。
「手塚三正!」
小声ではあったが谷島が叫んだ。
と同時に彼女の身体が高く浮き上がろうとした。
「バカ、立つな!」
もう一発の銃声と、あぁっ!と叫ぶ声がほぼ同時に手塚の耳に届いた。
手塚はそのまま彼女の身体に覆い被さったが、同時に自分の戦闘服に土赤色がつくのを感じた。
「谷島!」
「......腕をかすりました、大丈夫です」
「谷島一士被弾!」
手塚は無線に叫び、谷島を引きずるように後退させた。







◇◇◇







新人特殊部隊員4人にとって初めての抗争は1時間も掛からずに良化隊の撤退で終了した。
被弾した谷島は腕の肉をえぐられた傷ではあったが、出血が多かったので、病院搬送となった。
郁が付き添い、後処理の指示等で残った堂上はあとから病院へと来た。


「新入隊員で、初めての抗争で、被弾するなんてね...」
処置が終わったが谷島は痛み止めのおかげで眠っていた。
それにしてもたいして怪我でなかったことは、不幸中の幸いだと、郁は思った。はっきり決まったわけではないが、武器の使用禁止となるのはそう遠くないはずなのに。
「家族に連絡はしたんですか?」
「ああ、実家は関東だが交通手段がないから日中に来るそうだ」
家族が来るまでは、ついていてやるようだな、そう堂上が言っているのが郁にはわかった。
「お前は一度戻って着替えてこい」
「....はい」
郁は抗争後にそのまま付き添ったので、汗と埃と...硝煙の匂いをまとったままなのだ。このまま家族に会うのは少し生々しすぎる。
班長が付き添うのは至極当然なのだが、郁は堂上から車の鍵を受け取って病室を出る際、少しだけ後ろ髪引かれた....彼女と堂上が二人きりになることに。





官舎に戻り一睡もしないまま、再び郁は病院へと向かった。
途中のコンビニで夜食のような朝食のようなものを購入し行った。
ノックをして病室に入ると、堂上は椅子の上で腕を組んで俯き眠っていた。谷島もまだ目を覚ましていないようだ。
郁は静かに買い物袋をテーブルに置き、堂上の隣の椅子へと座った。
休息する上官の-----いや、旦那様の顔を少し覗きこんだ後、そおっと掌を堂上の太腿に置いた。温かいぬくもりが掌から伝わってきてホッとした。
「郁.....寝なかったのか」
「うん。寝たらすぐに起きれそうになかったから」
やっぱりその顔は上官ではなく、愛しい旦那様の顔だった。
「じゃあここで寝とけ」
堂上はそういって郁の頭をぐっと自分の身体へと引き寄せその肩に寄りかからせた。
堂上の優しい吐息と心臓の音が聞こえてきそうで、郁は安心して目を伏せた。




谷島が目を覚ましたのは日が昇ってからずいぶん後の事だった。
病院で出された朝食もすでに配膳は終わっていたがそのままとっておいてもらった。
「気分はどう?」
「郁さん、堂上一正...」
谷島は目を覚ましてすぐはぼんやりしていたが、上官が付き添っているからとあわてて身を起こそうとした。
「起きなくていいよ、疲れてるでしょう」
「大丈夫です、もう十分休息させてもらいました」
そういって谷島は負傷のない腕だけつかって身体を起こした。
「ご家族が午前中にはくるそうだが、おそらく昼前なんじゃないか、到着は」
医者も昼前に来るといってたから、もう少し休んでいろ、と堂上は続けた。

「--------怖くなったか?」
しばらく沈黙が病室内に続いていたが、堂上が口火を切った。
「........わかりません。怖くない、といったら嘘になります」
谷島はそういって、堂上と郁から目線をそらし、天井を仰いだ。
「でも、辞める気はありませんし、このまま特殊部隊で頑張りたいです------」
私には目標がありますから。
それは谷島の心の声の様だったが、郁の耳には届いた。




そのとき病室のドアに人影が写った。ノックと同時に「谷島さん?」と男性の声がした。
そして声の主はこちらの返事を待つことなくドアを強く開けた------。

「結衣!」
「隆史さん!」
その男は息を切らせながら、中へと入ってた。そして谷島の瞳が大きく見開かれた時------。

谷島を片腕で抱きしめていた。もちろん負傷した腕には触らず。

「------心配掛けるな」
「ごめんなさい------」
「まあ、いい。お前に堂々と会いに来る口実が作れた、痛みはどうだ?」
「痛み止めきいてるから平気です」
「そうか」
そう言うと男は彼女の背中を軽くぽんぽん、っと叩いた。

目の前で繰り広げられる抱擁に堂上と郁は言葉を失う。
彼が、谷島の言ってた「婚約者」なんだろうという認識はなんとなく出来ていた。
でもそのやりとりがなんとなくどこかで....と思ったのは郁だけだろうか?

そして、男はよくやく谷島から離れて、堂上と郁に向き合った。
と、同時に二人は谷島の身内扱いとなる彼に対して報告しなくてはならないため、椅子から立った。
「九州図書基地の郷田隆史一等図書正です」
慣れた敬礼と共に、そう挨拶されて郁は驚いた。きゅ、九州図書基地...?!
だが、隣の堂上をみると、そう驚いた様子はなく、堂上も敬礼をしていた。
「関東図書基地の堂上篤一等図書正です。隣は堂上郁三等図書正。谷島一士の負傷について、深くお詫び申し上げます」
そういって堂上は深々と頭を下げた。訳はわからないが、郁も一緒に頭を下げた。谷島は自分にとっても部下だ。

「いえ、頭を上げてください、堂上一正、堂上三正。おそらく結衣が初めての抗争でつっぱしっちゃったんでしょう」
------はい?
郁は思わず顔をあげて、きょとんと郷田一正と見て、谷島も見た。
谷島の婚約者が九州図書基地の一正、ってだけでも驚きなのに、つっぱしる谷島ってナンデスカ?
ハテナだらけの郁だったが、堂上は郷田については驚いた様子はなかった、ということは...
「篤さん?」
「ああ」
少し待て、の意味を込めて、堂上は郁の手を握った。それを察したのか郁はそのまま黙った。
ご家族への状況説明が先だ。

「谷島一士にとって、初の良化隊との抗争でした。狙撃班で屋上への配置でした」
そのまま状況を簡単に説明した。
「彼女がつっぱしったというほどでは...」
「それでしたらいいんです」
そういいながら、郷田は谷島の頭をくしゃっと撫でた。
「これくらいの怪我で駄目になったら、九州へは連れて帰れませんから」

ええっー?

さすがの郁もここは声が出そうになった。が、いつも塞がれる堂上の手ではなく自分の手で自分の叫び声をなんとか抑えた。
そして驚きのあまり、口をぱくぱくと動かしそうになるのもじっと抑えた。
そんな郁の様子を横目で見ながら、堂上は郷田への話しを続けた。

「一旦私どもは基地へ戻ります」
「はい。結衣の親も来るそうなので、それまで待ってから退院させます」
同業なだけに、話しは早い。
「谷島一士は医師の診断書どおり、一週間から10日の公傷扱いの休職だ、長期外出届けを出すようなら特殊部隊事務室の方へ」
「はい」
谷島は敬礼つきで答えた。
「谷島、ゆっくり休め」

郁は堂上に促されて、二人の様子を気にしつつも病室を後にした。









◇◇◇








「あの...教官?」
「ああ」
基地へ向かう車の助手席で郁は堂上に訊いた。なんだ?と聞き返さなかったのは、堂上は郁の言おうとすることがわかっているからだ。
「俺が聞いたのは、奴が特殊部隊に正式に配属になる時だ。それまでは知らなかったし、実際隊長と副隊長以外は俺しか知らないらしい」

その先の堂上の話しはこうだ。
谷島は関東出身だが大学は九州だったらしい。向こうで郷田と知り合い結婚の約束をしていたが、大学を出てそのまま九州で就職と結婚、というのは谷島の親が許さなかったらしい。
まして図書隊で防衛部員になるなど、とんでもない、となったらしいが、関東図書基地ならまだ近いからと、しぶしぶ認めたとかどうだとか。
「あの、郷田一正が言ってた、九州に連れて帰る、っていうの?」
「問題はそこだ」

どうやら玄田隊長と九州の特殊部隊隊長とのある種個人的なやりとりに近いらしい。
だから、彦江司令も谷島のいきさつについては知らないし、情報屋たる柴崎の耳にも入ってない超極秘事項なのだ。
「詳細は説明されてないが、彼女は郷田の絡みで入隊前から九州での特殊部隊入りを熱望されていたらしい。だが家の事情で一旦は関東にしか入隊できない。
そこでまあ、簡単にいえば、特別に特殊部隊員として一人前にして欲しいと、できたらお前の元でな」
九州図書隊では、まだ女性の特殊部隊員はいないから、というのもあるらしい。
だが、当然ながら九州図書基地の所属として、出向扱いならともあれ、関東の人間なのに異動することを前提に訓練をつけるなど....周りに知られれば大きな問題だ。

「だから、今回お前には話すが、他の人間に話すつもりはない。今は小牧でも、だ」
郁にはこの機会にきちんと話しておいた方がいい、それが堂上の判断だ。事後報告で隊長に言わねばならないが。
「お前なら、異動していく人間だとわかっても、前と変わらずあいつを育てられるはずだ」
いままで隠されていたことは仕方ないとしても、こうして、部下の自分も信頼してくれる。やはり自分にとって堂上は特上の上司だと思う。

「事務室には寄らずに、官舎へ戻って少し休もう。お前ろくに寝てないだろう」
「篤さんも」
図書基地内に車が入った。ホッとしたら、疲れがどっとやってきた。
「今日は篤さんに抱きしめてもらって眠りたいな」
ちょうど車両が車庫内で停車したとき、郁は堂上の方を向き、そうねだった。
病室での二人の様子をちょっと思い出したら、急に堂上に甘えたくなったのだ。

ギアをPにいれ、堂上が郁の方へようやく顔を向けた。
「ああ、一緒に眠ろう」
そう答えた堂上の顔が郁に近づき、唇に触れるだけのキスを落とされた。








二人は昼食抜きでベッドに潜り込み、夕方まで仮眠した。
堂上は一人で行ってくるから、と言ったが、郁は谷島の付き添いで自分の報告書を上げてなかったから結局一緒に事務室へ出向いた。


事務室へ行くと、隊長副隊長が来客中だと残っていた隊員に教えられた。
これは感だが、私用という形で郷田がきているのではないか、と堂上は思った。
「谷島はきましたか?」
「いや、今日明日は両親がきているからと外泊届けを出したいと連絡だけ。隊長が寮で届けを出しておけばいいと電話で言ってたぞ」
「そうですか」
隊長室ではなく、場所は別のところのようだ。
堂上は携帯を取り出し、緒形に電話を掛けた。登庁の旨を伝えたら小会議室へ来るように言われた。

「笠原、今日は報告書だけでいいぞ、明日のシフトは変更ない。俺は隊長達に呼ばれた」
「わかりました」
今日はたまたま堂上班は公休日だった。報告等だけすれば基本的には帰宅していいのだ。堂上はこの後どうするのか。
「後でメールか電話する」
そう言い残して事務室を出て行った。



小会議室ではざっくばらんに、今回の抗争での怪我のいきさつから、谷島の能力や勤務態度まで、いろいろ話しをさせられた。
郷田はこの話しだけは婚約者としてでなく、隊員との谷島の事を聞きたいとの事だった。
それを条件に向こうの隊長から有給を3日ぶんどってきた、というのだ。
ある程度の話しが終わり、お開きになった後に、郷田は堂上に声を掛けた。堂上も聞いておきたいことがあったので、二つ返事でOKした。



「実は今回堂上一正と堂上三正にお会いするのも一つの目的でした」
基地の近くではいろいろ面倒なので、駅を変えて仕切りのある居酒屋を指定した。
「...谷島一士から、どんな風に伝わってるんでしょう?」
婚約者なのだから、しょっちゅう連絡をとっているのだろうけど...と、そう思うと郁は恥ずかしくなる、いや、業務のことだよね。
郷田一正はおそらく堂上とそれほど歳は違わないと思う。
そうすると年回りもずいぶん離れているのではないかと。だが雰囲気はすごく素敵だと思った。郷田も谷島も、お互いを大事に思っていることが伝わってくる。

そしてやっとわかった。
谷島が郷田を見つめる眼は...ときおり見せた、堂上を見つめる眼差しと同じだったのだ。
そうか。彼女は遠くにいる、婚約者の姿を、堂上に重ねていたのか。

見た目、堂上と郷田は全く違う。背も高く体も大きい郷田は、特殊部隊員、という感じがたっぷりする風体だ。
「結衣のことがなくても、堂上三正は全国初の女子特殊部隊員ですから、有名でしたし、まして上官とご結婚されて現在もお二人で特殊部隊員ですから」
結衣も、自分もお二人に憧れているんですよ。
と面と向かって恥ずかしいことを言われ、さすがの郁も真っ赤になる。郁が隣の堂上の顔をみると眉間の皺が深くなっていた。

「それをお話しするには...自分たちの出会いからになるので、ちょっと話しが長くなりますが...」
照れ笑いしながら郷田が言った。

九州の大学に通うことになった谷島が入学前に立ち寄った書店で、たまたま良化特務機関の検閲に遭遇した。
その時恐怖で泣き叫ぶ子供から本を取りあえげるために手を挙げようとした良化隊員を突き飛ばしたのが谷島だった。怒った良化隊員は彼女を殴ろうとしたときに、そこに居合わせた郷田が助けたのが出会いだという。

どこかで聞いたような、って、私たちと似ているってここから?!

言葉もなく、郁と堂上は顔を見合わせた。

「偶然にも隆史さんは私の大学のOBで、弓道部を始めたのも、それがきっかけでした」
郷田はその大学の弓道部出身で、いまでも公休日などは後輩の指導に出向いているという。
そのまま二人はつきあい始めて、郷田の影響やもともと本が好きだったこともあって、図書隊入隊を早くから決めたのだという。

「自分がいい歳だったので、なるべく早く結婚したかったんです」
聞けば二人はちょうど一回り違うんだという。
交際時から谷島のご両親には挨拶していたので、結婚を前提につきあっていることは認めてもらっていたし、図書隊入隊もしぶしぶながら本人の希望ならと了解してくれたんだという。
「私が九州の大学に行くこと自体を反対していたので、最初から行かせてもらう際に就職はこっちでする、という話しになってたんです」
だから、わずかな期間でもこちらで就職して、嫁に行く前にすこしは一緒に娘と過ごしたい、というのがご両親の希望だったらしい。
「一人娘なので、父親なんかは20歳過ぎて、一緒に居酒屋で飲むのを楽しみにしてたんだそうです。というか大人になった娘と少しでも過ごしたい、っていう事らしいんです」

谷島は入隊前から司書資格も当然とっていたし、弓道部として以外にもジムに通ったりしていたらしい。
そんながんばりと、郷田の将来の嫁ということで、入隊前から九州の特殊部隊内では谷島はある意味受け入れられている存在だったらしい。

「最初は普通に関東図書基地に入隊できたら、それからどちらが異動するか、先のこと考えようと思っていたのですが、隊長がとんでもないミラクルを玄田隊長にお願いしたようで...」
そうまでしても、郷田という人間を手放したくなく、また谷島も受け入れたかった、というのが九州の特殊部隊隊長の本音だろうと、堂上は考えた。
「玄田隊長は、俺の元に置いておくのが一番面倒がなくていい、とおっしゃってくれたらしく」
ただし、谷島の実力が最低ラインをクリアしてればだがな、とも。
「異動することを前提に特殊部隊入り、なんて、他の隊員からしたら腹立たしくて当然です。ですから、玄田隊長も班長クラスにさえ言わないとおっしゃって」
そして班長の堂上だけに知らされたのだ。

「堂上ご夫妻に、ある種やっかいごとを押しつけたようで、本当に申し訳ない。しかもこいつは、放っておくとすぐにつっぱしっていっちゃいますから、ほんとご苦労おかけします」
と郷田が頭をさげる。

「それなんですが...」
とうとう郁が声をあげた。
「つっぱしる、って誰がですか?」
「結衣、ですが」
谷島つっぱしるか?!いや、ときどきポカはあるが、新人ならあり得る範囲だと思うし、苦手なことは黙って努力するタイプだと郁は思っている。
今回の怪我のこと?ともおもうが、手塚からの報告をみても、それほど突っ走っているようには思えない。

「...これでも、冷静に一呼吸置いてから動くように努力してるですよ、隆史さん」
谷島がそういって笑った。
「学生時代は、思ったことをポンポン口にしちゃって友達を傷つけたり、勢いで行動してあとが大変だったりで、結構トラブルが多かったんです、私」
それから反省して、かならず、一呼吸してから発言をしたり、行動する癖をつけるように努力したんだという。
「出会った頃に十分つっぱしってましたから、まだそういう目でみちゃうんですが」
つられるように郷田も笑い、谷島の頭をぽんぽんと軽くたたいた。

そのやりとりすら...どこかにあるような...?
と思って、再び堂上と郁は顔を見合わせ、とうとう笑い出した。

「結衣が電話を掛けてくる度に、素敵だなぁ、っていうんですよ」
「何が、ですか?」
「お二人が、です」

谷島の堂上をみる眼差しの先に、郷田がいたのか。
そして自分たち二人をそんな風に言う。
「堂上夫妻がすべてのお手本なんです。仕事の面でも、ご夫婦としても。ご夫婦の部分の細かいことはもちろんわかりませんけど、お二人をみていたらどちらの面でもお互いを信じて、すごく大事にらっしゃることがよくわかるんです。だから、私もそんな風に隆史さんとやっていけたら、と思って」
お二人の技を盗みたいな、って。

「技...」
堂上がそれを聞いて苦笑した。俺たちにどんな技があるんだ、とでも言いたげだ。郁ですら眉間に皺が寄りそうだった。

「自分たちと九州の特殊部隊のわがままを関東さんにきいてもらって、本当に感謝してます。まだしばらく結衣を預けまずが、がっつりしごいてやって下さい」
「いいんですか?大事な彼女さんをしごいて」
「覚悟はしているはずです。そういう所は、つっぱしってた頃の強さは、変わってないと思います」
すべてを理解しているという風に、郷田が述べた。

「私の事も、九州からの都合も、特殊部隊内だけで互いにやっていることなので、公にはできませんが、結衣をどうぞよろしくお願いします」
そう言って郷田は深く頭を下げた、谷島も一緒に従った。
「私たちは十分理解してます」
「谷島も、怪我がなおったらまた扱くから」
「はい、郁さん」


4人で店を出て駅まで歩く時に、郁は谷島の肩を指先でたたいた。
「あのね」
「はい」
「あ、篤さんを見て、きっと郷田さんの事を思い出してるのかもしれないけど...」
ちょっと恥ずかしいけど、郁は勇気を振り絞る。
「...みんなが誤解するから...」
あんまり、見つめないで。

「ご、ごめんなさい!郁さん」
そんなつもりでなくって...
「堂上一正は、素敵な方だと思うんだけど、やっぱりカッコイイ上官、なんですっ...」
ただそれだけです、よ?郁さんと並んで会話しているときとかのほうが見惚ちゃって...

本当にすみませんっ。

谷島は深々と郁に頭を下げたて謝った。こういうところは威勢がいいと思う。
「どうした?」
前を歩いていた二人の男が振り向いた。
「な、なんでもないです。女同士の話っ」
郁はあわててそう繕った。

郁にとっても初めての部下だ。
隊長や堂上がどういう思いで谷島を受け入れて自分に面倒を見させているのか。
新人で特殊部隊入りをしたのも、女子で初めて特殊部隊員になったのも、自分だけだった。
いままで先輩達と、堂上の背中をずっと追ってきて、やっと半歩後ろに並べるようになった、そんな気持ちのままずっと来ていた。

昇進もし、結婚もし、立場が変わっても同じように歩いてきたが、やっぱりそれだけではダメなんだと。
誰も、何も語らなかったけど、郁なりに上官達の思いを理解できた気がした。

「谷島、早く怪我なおして一緒ににがんばろう、待ってる」
「はいっ」

郁は初めてできた、直属の女子の後輩の頭に、よく上官がしてくれるようにぽんぽん、っと掌を乗せてみた。
その掌を見上げて、谷島も笑った。





fin

(from 20120823)

 

web拍手 by FC2

web拍手