+ 月に濡れた二人 +   紫ぶんこ のぶんこさまの『本音を隠して』の三次SS  上官部下期間

 

 

 

 

 

言えない。

 

 

あたしが今、どんな気持ちでこのドアの前に立っているのか。

好きな人にこれから抱かれるという喜びと、かつて与えられた快楽が蘇って、あたし

の全身の中を何かが駆けぬける。ジンっ...となる感覚が小さな膨らみから指先や足

の先に広がる。

 

このまま部屋には入れない。

ドアをの向こうにある刹那の幸せに溺れないように...冷たいロボットに抱かれるよ

うな冷静さを取り戻さなくては。

呼び鈴に手を掛ける前に、自分で自分の体をぎゅっと抱きしめた。

.........心に鎧を着けるために。

 

 

 

 

 

見えない。

 

 

俺が送ったメールに、郁はただ'了解'の意しか返さない。何を想い、何を俺に求めて

いるのか。

郁を抱くために用意した部屋で、締めていたネクタイを緩めてベッドの淵に腰をおと

す。

囮捜査の為に捧げた郁の体を浄化するという言い訳で、好きな女を抱こうとする自分

の狡さ。

 

今夜こそ、あいつは来ないかもしれない。

そんな考えが一瞬頭をよぎるが、すぐに己の欲望がそれを掻き消す。

たとえあいつを傷つけているとしても、その体に俺のすべてを刻みつけるために強く

抱きしめる.........自分の想いのすべてが伝わるように。

 

 

 

 

 

見えない、見えない。

 

 

こんな御願いを受け入れてくれる教官の本音が。

それでもその漆黒の熱い瞳に魅入られる。本当は誰よりも愛しい人。今は、今だけ

は、あなただけを感じたい、感じていたい。

あたしは教官を感じながら無意識の内にしなやかな脚をその躯に絡みつける。この夜

が終わらなければいいとどこかで願いながら。

.........偶然に起こった痴漢事件が..........途切れてしまったら。

 

あたしは、教官を知らなかった頃に戻れるの?

 

 

 

 

 

言えない、言えない。

 

 

こんな風にしか言い訳しなければ好きな女を抱けない俺の弱さ。

気持ちが重なる前に躯を重ねてしまったら.........あいつを感じるための行為の中

で、好きだとは言えない。

今、この瞬間に俺の腕の中にいるという、確かな温もりだけが本物だ。

 

二人で果てる瞬間には、昨日も明日もない。ただ確かな今だけが二人を繋ぐ。

 

その瞬間に郁の目尻からこぼれた涙をそっとぬぐう。もっともっと、ずっとずっと、

伝えたいのに。

「好きだ」と。

 

 

 

今だけの夢だと思って俺に抱かれる郁の.......心の奥底に隠す本音を聞くまで、狡

い俺はこいつをただ快楽の泉へと導き続ける---------。

 

 

 

 

fin

(from20121031)