握る筆、あるいは恋 ~恋愛編1~     Love bird のシトロンさまへの貢ぎ物、書道家パラレルの三次SS

 

※ 書道家堂上さんと、弟子の郁ちゃんの話です。元作品はLINK内の Love Bird (シトロンさま)のサイト内にあります。

 

 

 

 

 

 

外すさぶ風は冷たく頬を叩くが反対に日差しは柔らかく体を包む冬のある午後。

「郁ちゃーん」
「郁ちゃんじゃないだろ、郁先生だ、または笠原先生な」

そんなやりとりから子ども向けの書道教室は始まる。
今日は師範である堂上も所用もなく教室のはじめから子ども達と向き合っていた。今、世間で注目のイケメン書道家は教室で指導する以外にも本来の顧客の依頼によって書を書く仕事から取材、講演と活躍のフィールドが広がりつつある人気者だ。
だが当の堂上は人気が出ても奢ることなく、時間さえゆるせば初心者の子ども達に以前と変わらず接して指導をする。書の指導、といっても、本当の入り始めは礼儀や作法の指導だったりするのだ。

「笠原、これを頼む」
「はい、師匠」
数週間前から、堂上と郁の関係にも変化があったのだが、郁が堂上の弟子としての仕事を行う間は以前と全く変わらなかった。寧ろ厳しいくらいかもしれない。






◆◇◆





あの授与式の翌日、郁はいつも通りの時間に堂上の元へ出勤した。いつも通りに朝の清掃や支度が終らせた頃、堂上のアトリエに呼ばれた。
「俺とお前の事は、手塚に話した。兄弟子達にもここに来た時に俺から話す」
現在常勤の形で堂上の元で修行をしているのは手塚と郁だけだ。兄弟子達は週数回、自分の地元で書道教室を開きながら堂上の元でも生徒指導を手伝い、己の修行もしていた。
そうやって少しずつ地盤を作りながら、やがて師範となって独立していくのがこの道を目指す者の常だから。

郁が賞の授与式で、盛大かつ端的に「師匠、好き」と全出席者の前で告白したのだから手塚はもちろん、弟子達の耳に入るのは時間の問題だ。
だからこそ堂上は自分の口で直接伝えることにした、曲がった噂として伝わらないために。
当の郁は、あの時堂上への想いが滾って、こみ上げてきた物が勢いで口から飛び出たという状況だったのだが-------思い出せば思い出すほど穴を掘って潜り込んでしまいたい程の恥ずかしさで一杯で・・・人にあの時のことを語られでもしたら、それはもう!!!

ホント当面表を歩けません、という心境なのだが、堂上が郁の想いを受け止めてくれたという事実と同時に、それを恥じたりせずに堂々と仲間に伝えてくれるという堂上の気持ちが郁には何よりも嬉しかった。




「あたしが背中押してあげたんだから、ディナー1回くらいごちそうしてくれてもいいと思うだけど」

客として来訪した割には、勝手知ったる顔で教室横のダイニングキッチンに居座って郁がいれたコーヒーをすすっている柴崎が郁に催促をほのめかした。
「堂上師範はいらっしゃいますかぁ?」などと言いながら訪ねてきたので、親友とはいえ来客として応接室へ案内しようとしたのだが、「あんたと話すだけだからここでいいわ」と茶菓子片手にキッチンで恋話談義となった次第だ。
「もうっ、師匠に話しがあるなら教室の合間じゃなくて夕方くればよかったのに」
「思いが通じ合った二人がどんな様子かなぁってからかいに来ただけだしー?まあ、どちらかというと師範にお礼を言ってもらうために来た?のよねぇ」
残念ながら柴崎が来訪したその日の堂上は雑誌の取材のために手塚をお供に都内のホテルに出向いていた。そのため留守番の郁は兄弟子と一緒に教室の子ども達の指導をしていた、と言うわけだから、ゆっくり柴崎と話す時間はない、郁の親友としてきたのではなく、堂上の客としてきたのだとしても。
「アポなしで来るから師匠とすれ違うんだよ」
「ま、また来れば良いんだし、あんたとお茶飲みにきたと思う事にするわ。で、どうなの『彼氏』の師範は」
「どう、って別に・・・っていうか、あたし仕事中だからね!」
「わかってるわよ、これ飲んだらお暇するわ」
明らかに郁の事をからかいに来た様子でいながらも柴崎は本当に柔らかく笑ってた。もしかして本当にあたしが、その・・・師匠の彼女になったのを喜んでくれてるのかな?とも思う。微笑みながらカップソーサーに指を添えて、丁寧にコーヒーを飲む柴崎の仕草をみると、ああやっぱり「道」を知っている人は違うな、と思わず見惚れる。

元々柴崎は華道家元の小牧の弟子で、家業の合間に母校や地域でボランティアとして華道を教えている。
いいところのお嬢さんなので、一通りの手習いは全部網羅してるわよ、と言っていたので当然茶道も書道もそれなりこなす。

『あたしどちらかというと小牧先生より堂上師範の方が好みなのよね~、難しそうな顔をしている人が優しい顔する瞬間とか素敵よねぇ』
初めて堂上の元で顔を合わせたのは、郁が堂上に弟子入りして少ししてからの事だった。
堂上が採った初めて女性の弟子だということで最初は舐めるように郁のことを見ていたが、裏表もなく純粋に堂上の書に憧れて弟子入りしている郁の一途さを認め、郁は柴崎のお気に入りになった。
郁の方も、柴崎は美人だというのを鼻にかけることもせず、かといって男性に媚びることもなく、師範にも弟子の郁にも姿勢が変わらないという潔さに惹かれていた。誘われるままに柴崎と食事や買い物に行くようになってからは、正に親友というべき間柄になっていた。
だからこそ書を愛するようにいつしか堂上自身を愛していた郁の想いが成就したことを心底喜んでいるのだ、まるで自分の事のように。

「まあ、あんたも師範も気持ちだだ漏れに近いのに、あえてそれを押し殺そうとしてるから、ほんと面倒くさい二人!って思ってたわよー、あたしも小牧先生も」
ええっ!?それって小牧先生にもバレバレだったの!?あたし...
今更恥ずかしがっても仕方ないのだが、次に小牧に会ったらどんな顔すべきか、と郁は頭を抱えた...
「堂上師範も随分あんたには振り回されたでしょうねぇ、だってあんた書の師としてしか見てないんだもん、師範のこと」
柴崎はそういうけど、本当は正しくない。
厳しい指導や業務指示の合間に見せてくれる堂上の優しさに、ドキリとすることだってあった。郁の頭の上でぽんぽんと励まされる手も好きで、ご褒美だと言わんばかりにくしゃっとされる手も好きだった。
ずっとずっと自分の気持ちに気づくまいとしていた。だって、修行中の半人前以下の身で恋とか愛とかってあり得ないと思ってたから。

目標の一つだった書展で入賞を果たしただけでも信じられない心持ちだったのに、表彰式の会場で堂上のスピーチが落とした爆弾がまた強烈すぎた。
そして想いが滾りすぎてあの盛大な告白・・・

あああ、思い出すだけで顔から火が出るっ!!---------
郁は恥ずかしさで頭が沸騰しそうなのを必死で冷却した。






◆◇◆






彼氏の堂上には全然慣れない。
「好きだ」と伝えて思いが通じ合ってから2週間ほど経つけれど、日中仕事場であるこの道場で顔を合わせている間は以前と変わることがない、お互いに。郁も「この人が彼氏なんだ」という気持ちは全く沸き上がらないし堂上も変わらず出来の悪い弟子に怒鳴り声や拳骨を見舞うことは普通の出来事だ。


あとは教室の戸締まりとキッチンのゴミを捨てるだけだ、と最後の仕事を頭の中で確認してたときに「郁」と名で呼ばれてドキリとした。
その声に振り向けばきっと見慣れない柔らかな笑顔があるから---------。
「今夜予定はあるのか?」
「い、いえっ」
「なら飯でも食おう、いいか?」
「・・・はい・・・」
恋人同士になる以前にも堂上と食事ぐらいは行ったことがある。それは兄弟子や手塚が一緒だったこともあるが、そうでない事もあった。
食事に行くだけだから!今までだって行ったし、なんてことないじゃん!
頭ではそう判っているのだけど、向けられた笑顔と「郁」と呼ばれた堂上の低い声色に郁の心臓を鷲づかみされてしまう。

ドキドキする気持を押さえて、戸締まりと着替えをすませキッチンまで戻ると堂上が私服に着替えてスツールに座っていた。
「来たか」
「お、お待たせしました」
表玄関は締めたので二人は勝手口へ向かった。堂上はすっと下駄箱をあけて、郁のショートブーツを自分の靴を取り出す。以前「すみません師匠!自分でやりますから!」と言ったら、「アホウ、今は彼女扱いだから気にするな」と頭をその手を柔らかく乗せられたことがあったので、素直に堂上の好意に甘えた。

あああ、どこからがいったい彼女扱いなの!?と恋愛初心者な郁の頭ではその切り替えが難しい。
その事を堂上に訴えたら「じゃあ俺が『郁』って呼んだところから、お前の彼氏だからな」と念押しされた。

だ、だって急に来るもん!『郁』ってさ!そしてオンナノコ扱いも!

郁にとって、堂上が初めて実った恋の相手なのだ。
がさつで粗忽な大女だから彼氏が出来たのも初めてで、彼氏にオンナノコ扱いされるのも初めてだから--------もうそれだけでイッパイイッパイで。

勝手口の鍵を閉め表に出ると、堂上に手を取られた。
あ、と思ったときにはその手は堂上のコートのポケットの中に一緒に押し込まれていた。
繋がれた手が、か、彼氏と一緒に歩いてるんだ、と実感させる。そしてポケットに引き込まれたことで二人の距離がグッと近くなった。

「急に誘って悪かったな、予定は無かったか?」
「はい、どうせ帰ってもひとっ走りするか、ひとっ風呂あびて寝るかですから!」
そう口にしてからシマッタっ!と思う。女なんだから「ひとっ走りとかひとっ風呂」とかってどうよ?!もう少し女らしいアフター7な話をしてもいいところなのに、情けないくらい色気の無い答えだ。
それを聞いて堂上が黙り込んだ。おそるおそる横から表情を覗き込むとさっきまで柔らかい笑顔だったのが、随分と難しい顔に変わっていた。

「お前帰宅してから走りに行ってるのか?」
「やっ、毎日じゃないですよ?気分が乗ったときというか・・・たまには体を動かしたいな、って思うときっていうか・・・」
堂上の機嫌が下降気味なのを察して語尾がもにょもにょとなった。
「夜1人で走ってるのか?」
「そうですよ?」
この年頃でランニングなんかに付き合ってくれる友達なんていない。軽く近所を走っても見かけるのは健康ブームに乗ったおじさんかおばさんだけだ。
「・・・夜走るのは止めろ、もし走りたいなら・・・朝俺の所に早く来い」
「って師匠朝走るときは5時起きじゃないですか!?む、無理ですよ!始発に乗ってこいってことですか?!」
「・・・始発とは言わん。お前の時間に合わせて少し遅くから走り始めてもいい。ああもしくは夜一緒に付き合って走ってやるからその後帰るのはどうだ?」
「それじゃあ、終わった後シャワー入れない・・・」
「うちで浴びていけばいいだろう?」
---------それって、師匠のうち、って事ですか?!道場として使っているスペースにはシャワールームはない。ということは堂上のプライベートスペースのを使えって言うことで。
「バカ。彼女なんだからいいだろう、シャワーぐらい」
いやそれ、師匠のうちでシャワーとかって!

堂上は普通に言ってのけたが、堂上のプライベートスペースに郁は入ったことがない。アトリエといわゆる居住区として堂上が使っているいくつかの部屋の間にはウォークインクローゼットがある。衣装関係などはすべて其処にあるため、何かを用意しろ、といわれても其処まで入れば事が足りたのだ。
柴崎は「衣装部屋の奥は堂上師範の秘密の花園、ってとこだわね~」などと軽口で言ってたことがある。
シャワールームはその”秘密の花園”にあるわけで。
ええい、頭から離れろ!師匠んちのシャワールーム!

郁は急にぶんぶんと首を横に振った。どうした?と当然聞かれて、何でもないですっ、と慌てて平常を装った。
「とにかく、夜のランニングは禁止。朝7時に来たら一緒に走ってやるからそれで勘弁しろ」
何が勘弁なのか郁には計れなかったが、はい、と小声で応えた。






◆◇◆





特に相談したわけではないが、2人は普通に駅前まで歩いてきた。師範のアトリエは閑静な住宅街にあるので駅前まで来ないと飲食店はないのだ。どこへ行くのかな?と隣を歩きながらぼんやりしていたら、堂上が郁の手をとって自分の思う方向へと歩き始めた。
「特別に食べたいものあるか?」
「いえ・・・」
堂上と一緒ならなんでも美味しく食べられる、どきどきはするけど。食べたいものになんてこだわりはない。強いて言えば郁はお酒に弱いので、師匠が嗜む酒にあまり付き合ってあげられないのが気がかりなだけだ。
着いた先はずばり和風のたたずまいをした小さなお店。それほど古びてもいないが今時のしゃれた感じでもない普通の店だ。

ガラガラと扉を開け暖簾をくぐると甲高い女性の声がした。
「いらっしゃいませー」
堂上は馴染みらしく黙って軽く手を挙げた。
「今日は奥いいか?」
「ええどうぞ、空いてますから」
女将らしき人と端的な会話を交わして堂上は奥の座敷へ上がった。座敷と言っても小さな部屋で普段はプライベート用なのではないかな?と思う。


小さな座卓に向かい合わせに座り、飲み物はどうするか?と訊かれた。
堂上は手ふきを持ってきた女将に生ビールと郁のレモンハイをオーダーして、つまみは任せると常連らしい言葉をかけた。
卓の隅に置かれたメニューをとって郁に渡す。
「日替わりのお勧め品は女将が出してくれるから、他に食べたい物頼め。小汚い店だけど味は保障するから」
あら、小汚い店で悪うごさいましたね、と50代らしき女将が笑っていた。
「初めまして、女将の菊乃です、堂上先生にはひいきにして貰ってます。まあうちが掴んでいるのは先生の胃袋だけですけどね」
こんな可愛いお嬢さんが堂上先生のイイヒトなんて、もっと早く連れてきてくれれば良かったのにねぇ、と屈託無い。
「じゃあ時々よこすから、俺の胃袋を掴むようなメニューをがっちり伝授してやってくれ」
「あら良いんですか?うちの店に来てくれたら看板娘になっちゃいますよぉ」
「それは困るな」
堂上は眉間の皺を寄せながら慌てて前言撤回をした。
「あ、あの・・・弟子の笠原郁ですっ」
「アホウ、彼女の、だろう」
「え、あ・・・」
彼女とかって自分で言うとか恥ずかしすぎる!
「ここには先生のお弟子さんもよく来られるから、郁ちゃんの事は訊いてるわよー。肝の座った素敵なお嬢さんだって」
うふふ、じゃあ堂上先生ごゆっくりー、と声をかけて襖が閉められた。
こ、こんなところまであの告白の事が伝わってて、やっぱり恥ずかしいっ!

「莫迦、俺が嬉しかったんだから良い」
何が良かったのか郁には全くわからなかったが、師匠が嬉しそうに少し目尻を下げている顔をみているとホッとする。いや、眉間の皺がタップリ寄っているほうが見慣れてるから、嬉しいけど実は優しい彼氏顔にドキドキされっぱなしなのだ。

まもなく出された飲み物で乾杯し、おまかせで女将が出してくれたメニューを適当につまむ。
「あ・・・美味しい」
「味はいい、って言っただろう?」
きけば小牧と一緒に来ることも多いらしい。
「なんか・・・師匠のプライベートっていうか、秘密を覘かせて貰ったみたいで、ちょっぴりうれしいな」
酎ハイジョッキをちびちびと傾けながら郁は上目遣いで堂上を見つめた。
「秘密でも何でもないさ、お前はお酒を殆ど飲まないと聞いていたから今まで誘わなかっただけだ」
聞けばたまに手塚は連れてきたことがあったという。
「お酒に弱いって損なんですねー」
「そんな事はないさ」
「でも師匠はぁー、レストランとかじゃなくて、もっぱらこういうお店で夕飯なんですよねぇー」
確かに忙しさと1人分だという面倒くささから自炊は殆どしない。
朝食に飯は炊くから、時間があるときはおかずだけスーパーで買ったりすることもある。
「あ、この煮物美味しい!」
1人暮らしの郁は節約の為に簡単でも料理はつくっていた。自分の為だからけっして上手ではないが、見よう見まねで作っていればそれなりには作れるようになる。
作れるようになると、人が作った美味しい物の味付けが気になるようになるのだ。
「気に入ったか?」
「はいっ、師匠のお気に入りのお店の料理ですから頑張って覚えないと」
「ああ励めよ」
卓越しに堂上の手が伸びて郁の頭でぽんぽんっと跳ねた。恋人の表情の堂上には慣れなくても頭にぽんっとしてくれるのは弟子の時でも彼女の時でも嬉しい。

「炊き込みご飯とかも上手いから頼んでおくか」
「はいっ」
堂上は席を立って座敷を出た。きっとオーダーをしてきてくれるのだろう。

厳しい師匠が甘い顔をするのには慣れないけど・・・こうして弟子の仕事を離れて一緒に過ごせるのは嬉しい。
今となっては趣味の範囲であるランニングも一緒にしてくれると言ってた。生徒さん達の指導以外にもいろいろ仕事があるので師匠の一日は軽く10時間労働を越えるし、週に二日も休むことはない。寧ろ休みがない週だってあるのだから。そんな中でも郁を過ごす時間を作ろうとしてくれているのが嬉しくて堪らなかった。

そんな事を考えていたらすーっと襖が開いて堂上が部屋へと戻ってきた。
すると元の座布団ではなく郁の隣に置かれた方に腰を下ろした。
「師匠・・・?」
首を傾げながら隣に顔を向けるとすうっと無骨で大きな掌が郁の頬へを伸びてきた。そっと頬に触れたかと思うとゆっくりと引き寄せられて堂上の顔が近づいてきた。
「郁・・・」
呼ばれる声が耳許を掠めていき、郁の心臓が跳ね上がる。
来る--------と思ったと同時に無意識で目を閉じたら壊れ物に触れるような優しさで唇が重なった。
コンマ数秒、数ミリだけ堂上の唇が繰り返し離れる。これがバードキスだと知ったのはつい最近のことだ。
「郁」
二度目に名を呼ばれたのを合図にしたかのように、郁の唇は深く囚われ、堂上の掌は郁の後頭部をホールドした。強く重ねられた唇は角度を変えて貪られる。そのたびに慣れない郁は、んっ・・・と吐息を漏らす。
やがて歯列を舌先でノックされて薄く開いた唇から侵入した堂上の舌は郁の舌に絡みつくようにうねり始めた。

師匠が恋人になって2週間ほど。
こんなキスを貰うのは初めてではなかったが、もっとずっと遠慮されてた気がする。
容赦ないキスが奏でるくちゅくちゅという水音が郁の聴覚を刺激する。すごく恥ずかしいのに止めさせてもらえない。気が遠くなるほどのキスを与えられ続けて、息が苦しい。激しい・・・もうだめっ。
腰が砕けるようなこの感覚は--------何?
全身を駆け抜けるような痺れる感覚に自分の体を支えきれなって、堂上のジャケットにしがみついた。
師匠からのキスで力が抜けて蕩けてしまいそうだ。

恋人同志のキスってこんな風なの?
恋愛初心者の郁にはそれがわからなかったが、貪られるのは唇だけでなく、心の奥底も体の感覚もだなんて。
キスだけなのにこんなに体が熱くなるの?
されればされるだけ、堂上への『好き』が溢れ出て止まらない。
「ししょう・・・・すき・・・」
ああ俺もだ、と声にこそされなかったが、郁の心にはそう伝わってきた気がした。

頬に触れていた手がするりと郁の首筋を伝った。
「あっ・・・」
くすぐったいような感触が郁の全身をゾクリとさせた。滑り降りた手は鎖骨のデコルテを撫でてやさしく胸元へとたどり着いた。
「郁・・・」
ささやかな膨らみは堂上の掌にすっぽりと納まりそうだ。
「少しだけ、触らせろ」
郁は無言だった。それが肯定と捉えられて堂上の掌は胸の上でゆるりと踊り始めた。
「はあぁ・・・ん・・・」
未だ囚われたままの唇からいつもと違う声が漏れる。
その声を合図に堂上は郁の唇を解放し、ぐっと体を引き寄せながら耳許へと唇を這わせた。
巧な舌遣いが奏でるわずかな音が耳許でダイレクトに郁の聴覚を刺激する。
「ひゃあぁぁ・・・ん」
吐息と這われた舌で思いもしないほどの声があがった。耳許も、胸元を滑る手からも解放されることなく郁はひたすら堂上から与えられる熱に翻弄される。

師匠・・・もう、無理っ・・・

「・・・苛めすぎたか?」
それもまた耳許で紡がれまたゾクリと肌が粟立つった。
「ここ・・・おみせ・・・」
息も絶え絶えに郁は理論を立てた。
「そうだな。じゃあ続きは俺のベッドでな」

う、うわぁぁぁぁぁ!
激しいキスから解放はされたけれど、堂上の一言に心穏やかではない。

「もちろん慌てなくていいさ」
動揺を隠しきれなかった郁の様子に堂上は苦笑していた。
「やりすぎたな、じゃあ今日はこれだけ、な」
女将にもらってきたらしい綿棒を2本郁に渡した。そしてすぐに床に寝転がり郁の膝上に頭を押し付けた。
膝まくら、に耳掃除?!
膝上に載せた頭を横向きにして堂上はねだっていた。

「あたし上手じゃないですよ?」
実は人の耳掃除なんてやってあげた事がない。
「鼓膜が破れなきゃいいさ」
その言葉を信じて慎重に綿棒を動かした。目を閉じたままの堂上の様子はうかがえないが、穏やかにしているように見えた。
「・・・もう少し、奥まで入れられるか?」
おそるおそる、壁をこすりながら耳の奥を目指してクルクルと回す。

き、綺麗になってるのかな?

「じゃあ反対」
自分でそう告げて頭の向きをひっくり返した。今度は郁の方を向いている横顔。

師匠、格好いいよね。背は少し低いけど目鼻立ちも整っていてまつげも長くて、かっこいい。
尊敬する、大好きな師匠があたしを想ってくれるなんて、まるで夢のようだ、と未だに想う。そしてこんなあたしでも求めてくれることが嬉しい。
彼氏ができたのも師匠がはじめてで---------当然、その、初めてをあげるのも師匠が初めてになると思う。

「・・・それはお前が師匠呼びを止めたらな」
うわっ、も、もしかしてだだ漏れだった!?

「・・・ど、努力しますっ」
だって師匠が相手なら----------師匠に身も心も愛して貰えるなら、きっとそれ以上の幸せはない。
「ああ。ずっと離さないから、覚悟しておけよ」

横顔のまま極上の柔らかい微笑みを浮かべた堂上は、郁が与えてくれる耳掃除という愛撫に備えてゆっくり目を伏せた。





fin


(from 20130520)