+ 憂さ晴らし 1 + (囮捜査後・ジレジレ期)

 

 

 

 

武蔵野第一図書館で頻発していた、わいせつ犯をあげるための囮捜査。

柴崎とともに餌となった郁は自分にとっては「あり得ない」ほどのミニスカートと鍛え上げた美脚で、作戦通りに犯人を釣り上げた。
「.....あいつの調書は小牧と柴崎に任せたから、お前は着替えてから報告書だけあげてくれてばいい」
堂上にそういわれ、郁は少しひねった足の様子を見ながら、とぼとぼと庁舎にむかった。



特殊部隊の女子更衣室は言わずもがな郁専用ルームでもある。
シャワーを浴びながら、撫でられた太腿を念入りに泡でこする。
何も考えまい、感じない、と念じるのだが、先ほどの吐き気がするほどの嫌な感触を思い出す。
その先に浮かんでしまうのは、あいつの薄気味悪い笑い顔と声。

背筋がぞくっとする。いつもより熱いシャワーを浴びているのに。





◆◆◆




「笠原もどりました...」
特殊部隊事務室のドアをゆっくりとあけ、自席につこうとする。
何人かの隊員が、いつものようにからかい半分で作戦成功のねぎらいをしようと顔を向けたが、郁の思いの外の沈み様に、声をかけそびれた風で室内は静まり返ってしまった。
「笠原、ちょっとこい」
その様子を察したか、堂上が自席から立ち上がって郁に声をかける。郁は何も言わずに事務所を出た堂上の後へ続く。


行き先は誰もいない小会議室だった。
「大丈夫か?」
「......はい、足の痛みはありません」
「他は平気なのか?」
「......はい」
声は暗かったが、思い直したように顔を上げて、堂上と目を合わせてニコリとした。
「平気です。犯人釣り上げられて良かったです」
「そうだな」
堂上は困った様子で、郁の頭に掌をぽんっと乗せた。
「ああ、よくやった。すまないが報告書だけはあげない訳には行かない、書けるか?」
「もちろんです」
詳細な報告書を書けるのは、対応した本人だけだ。そのときの状況だけでなく、犯人にされたことまで事細かに書かなくてはならない。つまり、あのときの経験をもう一度思い出さなくてはならないのだ。

「......一人の方が良いか?」
少し戸惑いながら、堂上が言葉を紡いた。その場にわずかではあるが沈黙が流れた。
「......いえ、差しつかえがなければ、教官がいてくれたほうがいいです」
一人にしてくれ、と言われると思っていたので、堂上は少し驚いた。
「じゃあ、俺も書類を持ってくる」

堂上が部屋にいてくれたおかげで、郁はあのときの不快感を思い出しながらも、冷静に報告書を書き上げることができた。時間はかかったけれども。

「できました」
差し出された報告書を手に取り、堂上が内容を確認する。
そのシンとした小会議室の沈黙を、郁が破った。

「・・・あのー、教官や先輩達がお酒飲むのが好き、っていうのは、やっぱり憂さ晴らしができるからなんですか?」
「・・・なんだ、唐突に」
書類を手にしたまま、堂上が顔をあげた。
「い、いえ、お酒飲んで酔っぱらったら、嫌な事とか忘れられるのかなーって」
あ、あたし酔っぱらって気持ちがいいとか、楽しいとか思う前に、寝オチしちゃうから...どんな感じなのかなーって。そして起きたら朝じゃないですか?! だからお酒で憂さ晴らしってできるのかわからなかったので。

 

堂上は郁の言わんとすることが理解できたので、眉間のしわを深くして押し黙ってしまった。
その様子を見て、郁は慌てて言葉を継いだ。

へ、変なこと聞いてすみませんっ」
堂上の前に立ちながら郁は小さくなった。
「なんだお前、飲みに行きたいのか?」
もっと上手い台詞を言いたかったのに、堂上の口から出てきた言葉はいつも話すようなぶっきらぼうなものだった。
「そ、そういう訳ではありませんっ。ただ、お酒飲むとみんな楽しそうだし、酔っぱらえば気分も晴れやかになるのかな、なんて」
こ、これじゃ飲みに連れて行ってくれ、と言っているようなものだ、と今更ながら気づいた。
「酔っぱらって、気持ちがいい、っていう経験があまりないから、どうなのかな、って思っただけですっ」
弁明をしていたら、なんだか喧嘩口調になってしまった。
「そ、それに寝オチしちゃえば、嫌な事とか思い出さなくてすむかなーなんて。で、でも教官飲みに行って寝オチ前提じゃぁ、迷惑千万ですよねっ」

すみません、あたしってば、訳わかんないこと聞いて。
あした公休ですし、柴崎さそって、どこがおいしいものでも食べに出かけますから!!
柴崎が公休一緒だったら、そのままどこかに泊まってきて気分転換、も良かったんですけどね、公休じゃないから、そうは行きませけど。

上官に飲みに連れて行ってくれとねだっているようなものだ、と自分の発言のうっかり度に気づいてからか、まくし立てるように郁が話しだした。
でも何となく、今夜は自室に戻って、普通に食堂の夕食を食べて、部屋で過ごして寝る、という普通の行為に抵抗があったのは事実だ。
きっと柴崎は部屋にいてくれて、たわいもない話しにつきあってくれると思う。でもベッドに入り込んで独り寝するときは、きっと思い出してしまう...もしかしたら、あの気味の悪い薄ら笑いの顔が夢に出てくるかもしてない。
今日は酔っぱらってしまった方がいいのかな、なんて、逃げているのはわかっているけど。

わかっていて囮捜査の餌になったのだから、あれは仕事だったと割り切れるようになるよう、自分が強くなるしかないのに。

そう思ったら、酔ってみたい、と思った自分が恥ずかしくなった。
「お酒に逃げるなんて考え方、間違ってました。すみません...」



「報告書はオッケーだ」
そういうと堂上は書類をとりまとめて、会議室の長テーブルから立ち上がった。
「今日はお前のおかげて犯人を捕まえられたんだ、飲みに連れて行ってやるぐらいは何の問題もないが・・・」
堂上は郁には解らないほどの小さな溜息をついてから言葉を続けた。

「・・・お前が、男も同席する飲み会なんて、今夜はいやなんじゃないかと思ってな...」
構わないというなら、小牧達にも声をかけるぞ。
「教官と一緒が!あ、ど、堂上班一緒がいいです!」
「そうか、じゃあ柴崎にも声をかけておけ。酔いたいんだから。外泊届けもな」
「寝オチ前提の飲み会じゃ、俺が連れて行かないわけにいかないだろう」
そうだった!寝オチしたい、なんていいながら行く飲み会なんて、普通あり得ない!上官に迷惑かける予定です、って言っているようなものだ。うわーっ。
「俺がいい、って言ってるんだから、今日はいい」

「はいっ」

うわー、まただだ漏れやらかしたのか?あたし。小さく反省はしたが、今日は堂上の言葉に甘えることにした。

 


長テーブルを離れようとするときに、堂上の掌がまた郁の頭にぽんっと乗った。
その掌の感触で、きっと堂上が微笑んでくれているだろう、という事が想像できた。

 

 

 

 

 

 



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(from 20120604)