+ 半歩の階段 後編 +   婚約期

 

 

 

 


図書基地へ戻るまでの間、なんどかコールしてみたが、やはり郁は出なかった。
最寄りの駅からも訓練速度で寮まで戻ってきた。
とにかく、捕まえて話しをしなければ。
また、郁はとんでもないことを考え始めるかもしれない、堂上はいつになく冷静さを失い、焦りで一杯になった。


先に帰寮して自室にいるんだろう、と思っていたのだがそれも不明だった。
共用ロビーですれ違った公休らしき女子隊員に、郁を見かけかを尋ねたが、知らないという。
「一緒に出かけてたんじゃないんですか?もしかして、堂上一正、笠原と喧嘩でもしたとか?」と郁の同期の奴にまでからかわれる始末だ。
しかたなく、業務中だとは思ったが柴崎に電話をかけた。

「笠原は堂上教官と打ち合わせに行ったんじゃないですか?待ち合わせできなかったんですか?」
前日は友人と泊まって翌日に俺と会うことは、柴崎にきちんと話ししていたらしい。
「いや、会うには会ったんだが...ちょっと失敗した」
「...またですか...」
柴崎は電話口であきれたようなため息付きでそう漏らした。
また、というのはプロポーズする前の冷戦の事を言ってるのだろう。
「細かい事情は今聞きませんが、笠原も分かってると思いますよ」
何で拗ねたかはわからないけど、堂上と結婚したくなくなった、とかでは無いはずだ、と柴崎は思う。
郁自身、初めて恋が叶った人と結婚できる、ってすごく幸せだよね、なんてつい先日も思い出したように部屋で話し始め、郁ののろけ話にさんざん付き合わされたばかりだ。「・・・まあ、今回は教官も何ヶ月も待つ余裕はなさそうですしね。わかりました、笠原捕まえて話ししてみますから、時間下さい」

「すまない」
「貸し、大きいですからね」
「ああ、好きにしてくれ」
「じゃあお礼はじっくり考えておきます」
そう言って柴崎は電話を切った。ていうか、まだあたし業務中なんですけど、教官。まったく、笠原のことになると冷静沈着な堂上二正もどこへやらだわねぇ。
柴崎はカウンターの奥で艶然と面倒な二人の事を思った。



「帰ります」

午前中の打ち合わせを終えて、そう堂上にメールを入れたものの帰る気にもなれず、かといって堂上と二人で食事する気分にもなれず...
なぜか武蔵野と逆方面の電車に乗ってしまった。
郁は気がつけば、昨晩友人達を飲み会をして上京してきてくれた子が泊まったホテルへ、もう一度足を向けていた。

泊まるだけなんだけど、たまに贅沢してもいいかなーと思ってさ、などといいながら、東京の綺麗な夜景が見える高層の部屋をとっていた友人。
彼女の部屋に入り込んで、昔話をしたり、彼氏の話しをしたり。
そして、昨晩久々に綺麗な夜景をみて、堂上がずいぶん前に外泊するときに選んでくれたホテルの窓から見た夜景を思い出したのだ。ああ、こんな綺麗な夜景、篤さんと二人で見たなぁ....。
あの頃は、本当に堂上の気遣いも、あたしだけに見せてくれる笑顔も、与えてくれる熱も、すべてが幸せだと感じさせてくれた。

あの時とはホテルも同じではないし、夜景ではないけど、なぜか高層からの景色が見たいと思った。


最上階のレストランラウンジに入り、郁は給仕に「外の景色がよく見える席にしてもらえませんか」とお願いした。
今日の格好ならホテルのレストランでも大丈夫だろう。
一人だと言ったら怪訝な顔をされるかと思ったが、給仕は紳士な微笑みで眺めの良い席へ案内してくれた。

落ち込んでてもお腹は空くんだなぁ。

渡されたメニューからランチのセットを選んだ。コースを一人で食べるのは寂しすぎる。
そして改めて給仕がおすすめしてくれた、と思う都会の景色を眺める。

堂上と喧嘩したかった訳じゃない。
確かに立て続けに公休前日にそれぞれ用事があって、一緒に外泊もしていなかった。公休当日は打ち合わせだったり、買い物の下見だったりと、一緒に過ごしてはいたけど用事に追われてゆっくりデートという気分ではなかった。帰りの公園でキスする位で、恋人らしき睦言も交わしてない。

教官だけがそう我慢しているじゃないんだから!

それだけ分かってくれれば良かったのに。
友人と飲み会に出かけていても、堂上に対して少し後ろめたい気持ちを持ちつつだったのだ。でも主役なんだから、と友人達がお膳立てしてくれている以上、断る訳にはいかない。

なんでこんなことになっちゃったんだろう....
いろいろやることも決めることもあって、忙しいけど...堂上と結婚できる事は、幸せなことだ、って思っているのに。
郁自身も思いも掛けずに、すうーっと頬を一粒の涙が伝い落ちた...





柴崎が定時で帰寮すると、郁はベッドに寝ころび雑誌めくりをしていた手を止めて、ぼんやり天井を見ていた。
薄暗くなっているのに、電灯もつけないでいたのか、この娘は。柴崎は灯りをつけてからやっと郁は声を上げた
「おかえり」
「ただいま、今日は早いのね、夕飯は教官と一緒しなかったの?」
郁の事情を半分くらいはわかっているくせに、わざと知らないふりをして訊いた。
「うん・・・ちょっと疲れたから」
郁はそれ以上は言わずにお茶を濁した。
「・・・それだけじゃないでしょう?教官心配してあたしの所にも電話来たわよ」
・・・やっぱりバレてるか。
柴崎に隠し事ができるはずもない。堂上ならきっと柴崎に訊くだろうし、立場が逆なら、あたしも小牧教官に電話するかもしれない。

「ほんと、些細なことなの。準備忙しくて、二人でゆっくりする時間がないっていうかさ...」
わかってるんだけど、教官が拗ねて、あたしも逆ギレした・・・って感じ・・・
やっぱりねぇ、と言わんばかりに柴崎は大きなため息をついた。

「今回はさ、お互いわかってるんだから、謝りたい、っていう気持ちがあるなら、早いところ会った方がいいんじゃないの?」
「うん、そうかな・・・・・・そうだよね・・・」
郁はようやく心を決めてベッドから身をのり出し、テーブルの上に放り出していた携帯を握りしめた。





郁が電話を掛けると、堂上はワンコールで出た。
「郁」
「はい」
「・・・よかった・・・電話くれて」
堂上はあれから何度も電話を見つめては置きの繰り返しだったが、柴崎に任せた以上掛けない方がいいと思って我慢をして待っていた。
「・・・篤さん今どこですか?」
「自分の部屋だ。郁、夕飯は?」
「・・・・・・まだです」
「外出るか?」
「でも・・・」
もう部屋着に着替えてしまったし、いまからおしゃれして出かけるほどの気力はなかった。
「コンビニに行く格好でいいから」
「わかりました」
10分後に共用ロビーで待ち合わせした。

「大丈夫なの?」
「うん」
気遣ってくれた柴崎に郁はちゃん目を見て答えた。

やっと仲直りして決まった結婚なのに。
こんなところで、こんな些細なことで躓いて良いはずがない。今思ったことを伝えて、二人で解決しないと、きっと結婚したってまた何日も、何週間も冷戦になるかもしれない。
これから二人だけの暮らしが始まるのに、そんなことは耐えられない。
「同じ失敗はしたくないんだ」
「そう、じゃあがんばって」
ジーンズに少し色目の綺麗なシャツにショートコート。お風呂に先に入ったからすっぴんだ。
コンビニって言われたし、時間無いから、とそのままで郁は出かけることにした。


待ち合わせしたロビーから連れ出された先は、定食屋だった。たまにこういうところもいいんだと、何度か連れてきてもらったことがあった。
ここでいいか?と戸口先で訊かれて頷く。何が食べたいとか、なんにも考えてなかったし。
いらっしゃい~、と低い声の店員に声を掛けられ、小さなテーブル席に案内して貰った。
それぞれオーダーを終えて、出されたお茶をすすっていた。


「郁、すまん。俺が我が儘言いすぎた」

堂上は最初こそ、郁の瞳ときちんと目線をあわせたが、謝ったあとは深く頭を下げたままだった。
「篤さん、我が儘なんて言ってない...」
その姿に郁は困惑した。
「俺が浮かれすぎてたのかもしれない。お前の気持ちを考えてやる余裕がなかった。本当にす...」
「篤さん止めて」
郁はめずらしく堂上の言葉を遮るように声を上げた。
「二人で一緒に居たいのは篤さんだけじゃないよ」
あたしも篤さんと一緒に居たい。
「あたし図書隊に入って、ここまで来るのに必死で...図書隊員らしき事ができるようになったと思えるようになったの。それは篤さんがそうしてくれたの。次はちゃんと篤さんのお嫁さんになりたい。あたしの友達は、結婚したら『篤さんの奥さんの友達』になるの。だから大事にしたくて・・・」
「ああ」
郁の言いたいことはわかる。
こんな仕事についていると、普通の友人との関わりが薄くなる。実際大学から図書隊の自分がそうだ。
「あたし、わかって欲しかっただけなの。怒ってるとか、本当はそんなんじゃなかったのに・・・」
篤さんだけ我慢しているみたいな言われ方したのが嫌だった。
「でもね、一番はこんな小さな事で躓いたあたし達...ていうか、自分が嫌だったの」
前みたいに何週間も拗ねていたくない。
今それをきちんと伝えたい。そして話をして二人で解決していかなかったら、結婚してもまた同じ事するから。

「・・・・・・やっぱり郁は凄いな。お前には敵わない」
堂上の手が伸びて、郁の柔らかい髪を一撫でしてから、ぽんっと跳ねた。
「なんで?」
「俺と違ってお前はちゃんと学習している、同じ失敗をしないように」


都心の高層ホテルから見た景色。
たくさんのビル、たくさんの車、たくさんの人。何千万といる人の中でたった1人と出会って結ばれる奇跡。
そんな風に考えたら、同じ失敗なんてしてられない。
ちゃんと篤さんと向き合う。そう決めてからあのレストランを後にした。
凄く良い眺めだって、1人で食べる食事はやっぱりどこか味気なかった。
ちゃんと篤さんを待って、一緒にご飯を食べるべきだった。
感情的になったとはいえ、郁は寂しさを抱えながら日中を過ごし、1人で落ち込み、泣いた。
でも今回は篤さんが半歩踏み出してきてくれた。
同時にあたしも半歩踏み出さなきゃ、と思った。
二人が一緒にそう思って行動できたことが、郁にはなによりも嬉しかった。

「篤さんだって、早期解決してくれたよ?」
「馬鹿、俺はいつだって仕事は早い」
「どうせあたしは仕事遅いですっ」
「いいんだ、俺はお前のペースをわかってるから」
俺がちゃんとお前を見失わなければいいんだ。そんなことずっと昔からわかっているに、今回はそれを忘れた自分が悪い。
自らを省みて相手を想って。それだけではなくもう半歩、相手に近づいて想いを伝える。
そうすることできっと、恋人から夫婦へ、そして家族へと二人の形が変わっていくのかもしれない。
そんな風に今回はお前が思わせてくれたな、郁。


「おまたせしましたー」
二人の頼んだ定食が一度に運ばれてきた。美味しそうな匂いとできたての湯気に郁の笑顔がほころぶ。
食べ物につられて笑うお前も単純だが、その笑顔につられて笑う俺はもっと簡単な男だな。
郁はお手ふきを広げながら食べていい?と言わんばかりに上目遣いで俺の顔を覗いた。
「ん」
「いただきまーす」
嬉しそうな顔をして箸を割る。さぁて食べるぞ!って顔をしたと思ったら突然「あっ」と声を上げた。
「なんだ?」
「早く仲直りできたご褒美に、あたしが篤さんにビールをごちそうしますっ」
いいこと思いついたっ、とでも言いたそうな顔をして郁は提案した。
「いや、今日はいい」
「遠慮してるんですか?」
違う。
顔を郁の耳の方に近づけるようにしながら口もとに掌を添えた。すると郁は何か分かったように顔をして耳を寄せてきた。
内緒話の風体で囁く。

「キスしたときに酒臭い、って言われたくないからな」
「ええっ」
「しないのか、キス」
「・・・・・・し、します・・・」
急に恥ずかしくなって郁は俯き加減で答えた。堂上はその様子をおもしろがって囁きを続けた。
「もちろん、キス以上もだ」
「ちょ・・・?!」
「我慢しないで言いたいことをきちんと言ったぞ」
早期解決が大事だろう?
郁はそう言われて断れるはずがない。
精一杯の抵抗で、ふくれっ面をして上目遣いで堂上を見つめた。その顔が可笑しくて堂上はくすっと笑った。

「可愛い顔をしても、食べたくなるだけだからやめておけ」






fin







日和さまからのリクエストは

堂郁婚約期で
篤さんが全面的に悪い(笑)、あの冷戦期に次ぐ、2人の大ゲンカssで?
焦って必死に郁ちゃんをなだめる教官が見たいです。

て内容でして、婚約期自体短いのに冷戦期に次ぐ喧嘩って何?!婚約破棄?!と最初凄く悩みww
喧嘩の原因は浮かんだものの、どこにも「焦って必死に郁をなだめる教官」ってのが存在しないじゃないか!!
と、全然リクが叶えられてないような...?(>_<)

・・・すみません。
我が家の教官には「土下座してペコペコする」っていう仕様はあまり無いようでして...(そこまでとは言ってないかww)
リクSSの出来としては微妙で申し訳ございませんっ<(_ _)>

でもいただいたお題で、恋人から婚約者そして結婚、とステップアップしていく感じのSSができあがった事には満足しております。ともあれ、リクエストいただきましてありがとうございましたー♪

 

(from 20120919)