+ 今宵あなたと。 +   茨城県産純粋培養乙女生誕祭 参加SS   上官部下期間(郁入隊一年目)

 

 

 

 

 

 ――今どき、カチッカチッと時を刻む音が響く壁時計とか、如何なものか。

郁は音のする方を見上げ、ため息をつく。

 

 貧乏所帯だからと常に節電を謳われているので、事務室の照明は郁のいる列しか点灯していない。それと目の前のPCディスプレイの灯り。キーボードを叩く手が止まると昼間は気にしたこともない時計の音が妙に響く。

 そもそも、事務作業が苦手な自分がどうして一人で残業してパソコンに向かっているのか――しかもこんな日に。

 まあ、引き受けてしまったものはしょうがない。別に後悔もしていないし。

ただ手を止めてしまうともの寂しさが一層募るので、疑問もため息も手放して、人よりも遅いデータ入力に精を出すことにした。

 

 

 

「すまんな笠原、今日は夜勤班も居ないからお前が最後になるけど、戸締まり頼む。鍵は寮監に預けてくれ」

「気にしないでください!副隊長があたしに事務仕事頼んでいくなんてよっぽどの事態だ、ってよぉく理解してますから!」

 間違えないようにゆっくり入力しますから大丈夫ですよ!と太鼓判のつもりで宣言したが、緒形はすまなそうな顔と複雑そうな顔の両方をしながら特殊部隊の事務室を出てのは二時間も前。

 

 どうしても外せない用があるから、終わらなかったら堂上に頼もうと思ってたんだが……、と緒形が郁に頼み込んできたのは定時を十五分ぐらい過ぎたときだった。当の堂上は、年明け早々に予定されている他館イベントの警備の打ち合わせで日帰り出張中だ。しかも戻り途中で、利用していた路線が人身事故のためにストップしているらしい。明日までの書類を頼むメンツを緒形が何気なく探していたようだったが、クリスマスイベント警備明けの年末だ。出勤者は予定の有る者が多くて他班の班長も、小牧も手塚も所用があるという有様だった。

 

 

 で、消去法で残ったのは郁一人だったわけだが。

「――あたしに任せるのはすごくすごく心配かと思いますが、入力作業だけならあたしにもなんとかなりますからやらせてください!」

 と、残業を買って出た。

 

 ――今日は、あたしにとってはちょっぴり特別な日だけど。誰かの、ううん、世話になっている緒形副隊長のためになるならいい。

 年に一度の特別な日だけど、普通の日だった。

 通常勤務で、午前中が庁舎清掃で午後は館内警備。

 仕事を買って出た以上は、入力ミスをするわけにはいかない。普段も一応慎重にやってるつもりだが、いつも以上に丁寧にチェックしながらやっていたので、うるさい時計を見上げるといい時間になっていた。

 

 食堂は間に合わないから、コンビニ行って、ついでにケーキかなぁ。明日は公休だから、自分へのご褒美は一日遅れにして、ちょっと美味しいものを食べに行こう。そう自分に言い聞かせて、また白く浮かび上がる画面に向かって作業を開始した。

 

 だって、誕生日の夜に一人で寮だなんて寂しすぎる。

 

 同室の柴崎は、業務部の先輩の送別会で。直接世話になってたから外せないからごめん、と謝ってきた。謝られるようなことじゃないから、気にしないで、と笑って朝、別れた。郁にとっては特別でも、隊の人たちにとってはなんでもない一日だ。年の瀬を前に忙しいが、クリスマスイベント絡みで警備に出ずっぱりの隊員も多かったので、それが一段落した年末は調整の公休日が入っている人間も多かった。一年目のペーペー隊員が、「あたし今日誕生日なんですよ」なんて先輩たちに言うのもおかしな話で――ていうか、子供っぽ過ぎて自分が呆れる。そもそもクリスマス直後の誕生日なんて、クリスマスと一緒にお祝いされるか年の瀬の繁忙さで忘れられる運命でしか無い。

 おまけに彼氏いない歴が年齢同様の郁は、当然彼氏にお祝いしてもらう誕生日、なんて過ごしたこともない。学生寮のときは、友人や先輩がケーキ用意してくれてハッピバースデーと歌ってもらったことも有ったけど、それはみんな持ち回りでやってたので誰かの誕生日祝いというよりは、『ケーキを食べる大義名分』がついた定例行事のようなものだった。

 

 一人で帰寮しても何もなく終わるのなら、『誰かの為になることをする日』にするのも悪くない――頑張ったらきっと副隊長に褒めてもらえるし、それに疲れて帰ってくる堂上に残業を強いることも無くなるのだから一石二鳥だよね、言い聞かせる。

「後、三十分くらいで終わらせたいなぁ」

自分に向ける目標は、叶うように声に出して言ってみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――まさかと思ったけど、何でお前が残ってるんだ?」

カチャ、と扉が開いた音にビクリと驚きながら顔を上げると、コート姿の堂上が其処に立っていた。

「え、ど、堂上教官なんで?!お、お疲れ様ですっ」

緒形に戸締まりを頼まれた位なので、当然堂上は事務室には寄らずに直帰なのだと思っていた。

「今日は緒形副隊長も定時に上がると聞いていたし、宿直は特殊部隊じゃないから誰もいないはずなのに、部屋に灯りが点いてたから何か問題でも起きたのかと思ってな。お前が残っているとか大いに問題がありそうだが、何した?」

「何した、ってあたしが何かした前提ですか!?」

「お前が一人で残業してパソコンに向かってるとか、普通じゃないだろう」

いやそこは否定しませんけど!

「――普通じゃないのは自分が一番良く分かってます。あたしが事務仕事引き受けるとか変ですよね、しかもひとりで残業とか。でも副隊長が困ってたから……」

堂上が郁を非難されている訳ではないのはわかっているが、ついつい堂上相手だと小言を食らっているようで反論する声も小さくなる。役不足だとか、百年早いわ!とか絶対小言食らうこの後…!と覚悟を決めていたが、今日は楯突きたくはない。

 そんな郁の様子を見て、堂上はため息をつきながら手にしていた鞄を自机に置いて、郁に近づいてきた。

「お前なぁ、ペーペーが残業を引き受けてくれたのはありがたいが、暖房まで切ったら風邪引くだろうが」

確かに、古いこの庁舎は断熱効果が高いわけではない。一人だから照明同様もったいないと、暖房を切ってひざ掛けをかけて一枚余分に着込んでいたが、吐く息が何気に白く見え始めているのも気がついていた――と、キーボードに軽く載せていた手の甲に、堂上の手のひらが重なってビクっと震えた。

……えっ、えっ!?

何気に、手を触りましたか今!

「ほら見ろ、外から戻ってきた俺の方が温いとかどういうことだ、ったく」

そこまでケチんなくていいぞ、と言いながら堂上はドアへと戻り、脇にあるエアコンのスイッチを入れた。

 

「で、どこまで終わったんだ?」

急に早くなった鼓動が、壁時計の音以上に響かないだろうかとドギマギしながら、平静を装い答える。

「もう入力は殆ど。あとこの四枚で終わるので、そうしたらプリントアウトしてチェックしようかと、」

思ってました、と続ける前に堂上は

「じゃあその前のページまで先に印刷しろ。俺がチェックする」

「いえ、一日出ずっぱりで教官お疲れですし!これはあたしが副隊長から請け負った仕事ですから責任持って」

「いいから」

其処まで上官に言われては、これ以上の抵抗は出来ない。印刷コマンドを呼び出し実行すると、堂上自ら共用プリンタの前に立った。

「残り、早くやれよ」

「はい」

素直に応じ、堂上の方に向けていた視線をディスプレイに戻した。よしっ、残り少しだから集中!

戻ってきた堂上が自席に腰を下ろすと、再びキーボードを叩く音と、堂上が紙をめくる音と――壁時計だけが音を奏でていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「終わったー!」

「よくやったな、こっちは間違い無しだ」

最後の数ページを手にしていた堂上がぽん、と郁の頭に手のひらを落とした。堂上の、褒めてくれる手が、素直に嬉しい。

「俺が来てからの数ページもだいぶ時間がかかっていたがな」

「え、入力は頑張りましたよね!これ副隊長に褒められるコースですよね!?」

データ入力はそこそこで終わったが、それをグラフ化するのは結局堂上に手伝ってもらった。

「今日はお前の手柄って事にしておくから気にするな。早くサーバーに上げて上着とってこい、行くぞ」

え、帰るぞ、じゃなくて行くぞ?

「ああやっぱいい、面倒だから此処閉めてからロッカーに寄る」

郁はとりあえず、データのアップロードを実行し、待ちながら椅子から立った。再びマウスを握り直してシャットダウンを選択していると、肩からコートを掛けられた――堂上の。

「今夜は冷え込んでるから、女子ロッカー室までな」

「い、いいですよ!何十分もかかる距離じゃなし」

コートを差し戻そうと、自分の肩に手をかけながら堂上の方に向き直して見上げると、少し不機嫌そうに眉間に皺を寄せていた。

「いいから!お前暖房なしでどんだけここにいたんだ、冷え切ってるぞ」

褒められたときと同じように手のひらが頭に乗ったが、今度はギュッと押さえつけられた。

「…ったく、繁忙期に風邪引かれたら堪らん。それに…」

ポロンッ、と軽い電源オフの音が響くと、不機嫌な表情のまま郁の傍を離れ、ドア横の照明スイッチに触れて部屋を真っ暗にした。

わっ、わっ!とドア外の廊下の薄明かりが見える方に、慌てて郁は駆け出す。もう此処まで来たら肩のコートはそのままにするしかない。ならば、と緒形から預かった鍵を差し出し、郁は一足先に女子ロッカーへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうりで冷え込んだ訳だ…。

 

ほんとにパラリ、パラリとだが、夜でもどんよりした空から白いものが混じった細かい雪が落ちてきた。

せっかくなら数日前のクリスマスに降ればロマンチックだったのに、なんて一瞬過ぎったが、今隣にいるのは単なる直属の上官だ。しかも鬼教官の。ロマンチックもクソもない。

「部下が俺の代わりに残業を買って出てくれたんだ、飯ぐらい奢ってやらなきゃ祟られそうだ」

誰も祟りませんよ、こんなことで!

「買って出たのはあたしの勝手なんで!でも――いいんですか?」

実は給料日は過ぎてたのだが、現金を下ろしにATMに出向く時間が取れなかったという情けない顛末付きの誕生日だったりする。

「ああ、俺だってお前に付き合ったから腹ペコだ。この時間じゃ大したとこ行けないが、遅くまでやってるファミレスでいいか?」

この辺でファミレスといえは駅方向とは逆になる。この冷え込みに空きっ腹は堪えるのは郁も同じなのでコクリと頷き、訓練速度で歩く堂上のすぐ後ろを追った。とにかく暖かい所に入りたい。

 

 

好きなもの食べていいぞ、なんならフルコースでも、という上官の太っ腹な一言に「いいんですかほんとに?」と念押ししてから、存分に料理をオーダーした。

温かいポタージュスープにサラダ。肉はコンボとかいうので、ハンバーグもチキンも乗ってる。ビールを頼んだ堂上のつまみに、という名目でポテトやほうれん草のソテーも頼み、二人分だというのにテーブルの上は置ききれないほどになっていた。もちろんアフターのデザートもオーダー済みだ。

 

「やっすい誕生日プレゼントで悪かったな」

へ?

切り分けたハンバーグの最後の一切れを口に運びながら目の前の堂上を見上げた。

「……知ってた、んですか?」

 

今日があたしの誕生日だって。

 

社会人にもなって、聞かれもしないのに今日誕生日なんですよ、なんて言うのは気が引けた。実家に居れば、こういうことにはマメな母がケーキぐらいは焼いてくれたかもしれない。彼氏なんて居たためしもない郁には、家族や友人以外の誰かが祝ってくれるなんてこと――今まで無かったのだから。

「――直属の部下に配属されてんだ、お前と手塚のプロフィールは一通り叩き込んである」

そう言うと堂上はテーブルの隅にあった、呼び出しボタンを押す。

素早く反応して「お伺いします」と告げた店員に、

「追加のフリードリンクと、このチーズスフレを。あと、今日明日で、こいつと俺が誕生日なんですが」

「まあおめでとうございます、当日ですのでプレートサービスのみになりますが」

「構いません、一つは先にオーダーしたショートケーキにつけてやってください」

え、えっ?!

「――お前の誕生日が俺の前日だったからな、覚えもするだろう」

郁は驚きの余り、声も出なかった。

クリスマス後の、正月前のこの時期に誕生日。そりゃ居ないわけじゃないけど、何処の家庭でも慌ただしく過ぎる時期なので割りと邪険にされやすい。

「教官んちはクリスマスと一緒派…?」

「ああ、思い切りな」

「う、うちはお祝いはしてくれましたけど、サンタさんが届けてくれなくなってからはプレゼントは一つになりました」

「いつまでサンタを信じてたんだ?」

「え、小学校三年生までですかね、小兄が、あ、三番目の兄がサンタは父だと話しているのを聞いてしまって」

「ありそうな事だ。俺は妹が真実を知るはかわいそうだと頑張ってひた隠しにしてたせいか、中学のときまで信じてたぞあいつは」

今日の堂上はなんだか饒舌だ。

ビール二杯で酔っているとも思えないし、ビールの後にケーキを頼むとか、ちょっと鬼教官のイメージからかけ離れていて。ご機嫌、なのか、それとも――?

 

「結局朝から晩まで働かされて、部下に飯を奢ってるんだ。最後ぐらい楽しまなきゃやってられん」

楽しいですか?あたしといて。

口には出していないつもりだったが、その答えは返ってきた。

「お前はなんでまた誕生日に残業なんて引き受けたんだ?」

「別に”今日が特別な日”なのはあたしだけだし。なら、誰かの役に立って、一人で夜過ごすよりはずっと有意義かなって」

寂しいじゃないですか、とだけは絶対言いたくない、この上官には。

「まあ、期せずして互いの誕生日を跨ぐ形になったからな」

お待たせしましたー、と置かれた二つのケーキには、それぞれ『HAPPY BIRTHDAY』と書かれたプレートが一つずつ乗っていた。お誕生日おめでとうございます、と二人に笑顔を向けて店員が去っていくと、郁は

「こ、コーヒーとってきます!教官ブラックでいいですよね!」

同意の答えを聞く間もなく席をたった。

 

まさかの鬼教官に誕生日を祝ってもらうとは。

まさか鬼教官の誕生日を祝うことになるとは――しかも二人っきりで。

 

日頃世話になってるという意味では、時期ギリギリのお歳暮、みたいなもんだろうか。

そういえば誕生日もだけど、堂上のプライベートなんて何も知らない。

コーヒーはブラック。お酒は強い。柔道も強い。読書が好き。他は?

 

――彼女とかと、明日お祝いするんじゃないの?公休日だし。

 

そういえば堂上に彼女がいるかどうかも知らない。こんな鬼教官が好きだとかいう女子がいるのか?!と思ったがそういえば冗談半分で柴崎が告白して振られた、って言ってたよなぁ。

 

あんな美人を振るんだもん、可愛い彼女でもいるんだろうか。

 

いやいやいや、想像つかない。いっつも眉間に皺寄せて厳しい顔して「笠原ぁーっ!!」って怒鳴り上げて。

でも――泣かせてもらったこともある。

認めてもらったこともある。

おっかないけど、どこかで優しい。それも、知らないわけじゃない。

 

厳しくて、優秀な上官だとは思う、悔しいけど。

あたしはグラフ作り一つ出来なくて。

訓練だって、警備だって、未だ怒られてばっかりでほんと悔しいけど。

追いかけたい――いつかは追いつきたい。そして超えるのだから、あたしよりチビなのに大きなその背中を。

 

 

堂上用のコーヒーと自分の紅茶のマグカップを置いて、改めて堂上の正面に腰をかける。

「――じゃあ、頑張った部下に奢ってくれる上官へのお礼と教官のお誕生日祝いに、ハッピバースデー歌いましょうか。せーのっ♪ハッピバースデー…」

「バカよせ恥ずかしいだろうが!!!」

 

 

 二人分の、~♪Happy Birthday to you♪~

 

 

 

 

fin

(from 20161207)

 

(原作では不確定な郁ちゃんのお誕生日を教官と同じ月、に捏造してしまいました...これも一つの可能性という意味でお楽しみいただけていたら幸いです、ありがとうございました!)

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