+ たとえ君がどこにいようとも +    「月夜をお散歩」のにゃみさまのSS「君と出逢ってから」の郁視点SS

 

 

 

 

 

 

『王子様だ』

 

咄嗟にそう思った、その瞬間を、あの時の想いを忘れることは一生無いと思う---------------

 

 

 

こんな小さな地元の書店で。

たまたまその日に発売される本を買いに行っただけだったのに、良化隊の検閲と遭遇した。

大好きな本が狩られると思ったら、声を張り上げずにはいられなかった。

 

あたしと本を救ってくれたあの声、あの背中、あの笑顔、あの手。

一生忘れることのできない人だから----------のはずだった。「顔を覚えている」と思っていたのは錯覚だった。

そして高校生の自分のできる精一杯の方法であの人が何処の誰なのかを調べたけど、結局何もわからなかった。

 

ただ『三正の肩書きを持つ図書隊員』と言うこと以外。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

高校の卒業式を終えて明日には東京に引っ越すという肌寒い春の日。

 

あたしは、もうしばらくは来ることも叶わないであろう、あの時の小さな書店に足を向けた。

高校の近くの書店なので、東京に出たらきっともう来ることはないだろうな、と思って。

ここであの図書隊員さんに助けて貰ったんだ、ともう一度心に刻み込むように店の中を見回した。

児童書の棚の前に立ち、あの時救って貰った自分が持っている本と同じ書の背を細い指でそっと撫でる。

そしてその本を、あの人の代わりに見立ててそっと心の中で話しかける。

 

『王子様』

 

いつからか-------あたしはそう心の中で彼を呼び、いろんな想いを語りかける様になっていた。

『あたし、明日から東京に行くんです』

あれからもう少し頑張ってわかったことは、あの人は水戸の図書館の職員ではなかったということ。関東図書基地所属らしいということ。

 

できることなら探して、追いかけて、もう一度お礼を言いたい。

 

あの人みたいに大好きな本と本が好きな人達を守れる人になりたい。

 

唯一自慢の脚で、大学を卒業したら図書隊員になろう。そこまでは決めた。

 

だけど図書隊員になれたとしても、王子様に会えるかどうかの保証は何処にもない。

そしてあたしは、こんなにまで背中を追いかけたい人のなのに...実は顔を覚えていなかったなんて...

 

だからこそ、郁は事ある毎に、その守られた本を胸の中で握りしめた。

それはまるで、ホントに自分の王子様に語りかけるようだった。

 

『王子様。今日は大学の入学式だったんです』

『王子様。関東大会で優勝できたんですよ』

 

寮生活だとはいえ知らない土地で暮らす郁にとって、あの時の本は心の奥で支えとなってくれる、かけがえのない存在になっていた。

たとえ、もう二度と会うことが叶わない人だとしても、この本が王子様の代わりになってあたしを見守ってくれている---------そんな風に思うようになった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

東京に出てきて迎えた初めての夏休みは、短期のアルバイトと陸上の練習に明け暮れて水戸の実家には帰省しなかった。

お袋が寂しがってるよ、と兄たちがメールをくれたが、元々母親とはあまり折り合いの良い方ではなかったし、気乗りしなかったから、忙しいのを理由にして帰省しなかった。

 

東京での暮らしももうすぐ半年になるんだ---------部屋に掛けられた10月のカレンダーを眺めながらぼんやり思った。

 

ああ、もしかして今日は10月の・・・・・・.

 

机の上に立ててある、一冊の本に目をやった。

王子様があたしと一緒に守ってくれた、あの本。

 

たとえ都会の喧噪の中であっても、あの時、彼が発した言葉とあの声はいつでも郁の耳に蘇る。

そして思い出す度に切なく、胸をきゅぅんと締め付けて・・・・・涙が出そうになる。

 

-------------------ああ、あたし、やっぱり王子様に会いたい。

 

こんなに広い東京の空の下で、偶然出会えるはずもなく。

たとえ4年後に図書隊員になる夢を叶えたとしても、あの人がそこにいるとは限らず・・・.

 

だから、その本に語りかけていた。王子様にずっと語りかけていた。

あの時のあの人は夢の中の人なんだと思いこむ事で諦めようとしてた。

 

どんなに、遠く離れていても、もう一度会うことなんて叶うはずもないとわかっていても・・・

今日一日だけは、焦がれる想いをたどってみても良いだろうか・・・・・・心は1年前のあの時のままに。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

初めて自主的に陸上部の練習を休んだ。

飛び乗ったのは常磐線。数十分も乗るとすぐ席に座れた。

 

---------------あの日に戻るための、ちょっとした小旅行だ。

 

かばんの中にいれてきた、あの本に掌を重ね、ゆっくりと撫でてみる。

それからしばらく地元まで続く田園風景を眺めてから、郁は目を閉じて、あの日の王子様のことに想い馳せた。

 

 

 

 

懐かしい駅に降り立つと、きゅるるとお腹が鳴ったので、急いで腹ごしらえをした。

その後、変わらない町並みを眺めながらあの小さな書店へと歩を進めた。

 

あの時のままの書店の眺望と入り口。

 

足を踏み入れるとコンビニの様に軽いメロディが鳴った。

飾られていたPOPなどは当然変わっていたが、書棚のレイアウトは1年前とさほど変わっていなかった。

 

そしてあの時救って貰った本のあった児童書コーナーへ足を向けた。

棚の下方だったが、あの本と同じ書はきちんと並べられていた。

 

きっと、あれからこの店は検閲対象にはならなかったんだろう。

 

 

ここでこの本を守ってあたしは良化隊に立ち向かった。

 

この本とあたしを守るためにあの人は見計らい図書の宣言をした。

 

 

一度だけ、東京で暮らし始めてから、時間を作って関東図書基地のお膝元にある武蔵野第一図書館に行ってみたことがあった。

図書館の窓口で、まさか半年以上も前に水戸で見計らい図書の宣言をした三正の図書隊員さんは居ますか?と訊くわけにも行かず・・・・・・

まして顔を覚えていないあたしが、その場所で偶然にも王子様を見つけることができる可能性はゼロに等しかった。

わかっていたけど、一度だけ出向いてみたんだったな。

 

そんな事を思い出しながら、その本の背を愛おしむように撫でた後、目線を少しだけ回りへ向けた。

小さな店の児童書コーナーだ。誰も近づく様子は無い。

 

郁は小さくため息をついた後、再びふっと笑った。

何を期待してるんだろう、あたし。期待する方が可笑しいや。

 

それでも、もう少し今日この時、ここにいたくて、一緒に並べられていた可愛い表紙の本達を次々と手にとってパラパラとめくりだした。

心の中に王子様の背中を思い浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

どれくらいそこにいただろうか?

高校出の若い女がこんな小さな書店の児童書コーナーにずっと居座って立ち読みしてる、ていうのもおかしな光景だろうな、と急に自分が恥ずかしくなった。

 

店の入り口のチャイムがなる度に、それとなくどんな人が入ってきたかを初めのうちは伺っていたが、そのうち学生が出入りする時間になってチャイムがしょっちゅうなるようになったことと、どこぞの映画みたいに偶然に再開したりするはずないのに、何を期待してるんだろうと自嘲する気持ちが強くなって、入り口から音が聞こえても振り向く事をやめた。

 

そして外の通りが見える硝子窓に目を向けると、空が茜色に染まり始めていた。

冬至に向かってこれからどんどん日が短くなる時期だから、空の色をそんな風に染めるのも早い。

 

 

今帰ったら寮の夕飯の時間には間に合うかな・・・

 

 

諦めてこの本を戻して帰ろう、と腕を伸ばした瞬間、そこに平積みになっていた本に肘がひっかかり、どさりと数冊床に落ちた。

あわててしゃがみ、その本を拾い始めたら、おもむろに近づいてきた男の人がそれを手伝ってくれた。

「あ、すみません」

そう声をかけてから本を拾い終えたときに初めて彼に目線を向けた。

当然のように目が合う。

彼は何故かあたしの目をじっと見つめていて-----------向けられた強い眼差しにあたしはしばし囚われた。

 

 

あ、お礼。

「ありがとうございます」

我に返ってあわてて声に出し、丁寧に頭を下げた。

彼は返事もせず、あたしに背を向けて書店の出入り口へ向かった。

見せられた背中を眺めながらも、郁は先ほど向けられた熱い眼差しに未だ心を囚われていた。

 

知らない人。知っているはずの無い人、と最初は思った。

そうだろうか。あたしあの人の事、本当に知らない?

 

もうそこから先、あたしの脚は本能で彼を追いかけて店を出ていた。

 

 

 

 

 

王子様の顔は覚えていない。

追いかけたい背中だなんて言ったけど、あの時床に投げ出された姿勢で見上げていたので、本当の背格好すら覚えていない。

 

「あの!」

自分がどうして彼を追いかけ、声を掛けたかもわからない。

声が届いたのか。彼は足を止めて振り返った。

「……何か?」

 

例え大きな勘違いだとしても、この人と会うことはないだろうから、旅の恥は掻き捨てだと一瞬で決意した。

大きく息を吸い込んでから彼に向かって訊いた。

 

「あの!あたし一年前、あなたに助けて頂いたりしましたか!?」

 

そう問い再び彼の目を見つめた。

 

「ああ、良化隊に喧嘩を売った無謀な女子高生を助けたことならある」

彼は仏頂面で言った。

 

会えた!

 

そう思ったらなぜかホッとした。急に体の力が抜けるような安堵感があたしを包んだ。

 

ああ、あたし王子様に会えた・・・!

あきらめかけていた再会が現実となって、嬉しさで涙が出そうになる。泣くまいと自分を抑えて、王子様に会ったら伝えなくてはならないことを--------

 

「あの、あたし、ずっとあなたに会いたかったんです」

「……」

「会えたら言おうと思ってました。あたし、あなたみたいな図書隊員になります」

「…………ああ」

彼は一言だけしか伝えて来なかった。

その代わり、あたしのの頭に掌を乗せてぽんぽんと叩いた。

それはあの時王子様があたしにしてくれたこと----------

 

「会いたかったです」

 

感極まってそれ以上の言葉が紡げなかった。だけど、会えて嬉しいのだと本当に伝えたくて、泣きそうな顔をしながらも精一杯の笑顔を王子様に向けた。

 

「ああ俺も……」

その後彼は何を言ったのか、それとも何も言葉にしなかったのか。

街の雑踏に掻き消されたのか、そうでなかったのかはわからないが、あたしの耳には何も届かなかった。

 

彼はただ、あたしを見つめていた。何かの想いをぎゅっと噛み締めるような、そんな眼差しで。

吸い込まれるような瞳に、あたしもたった一言だけと心に秘め、無言のまま見つめ返した。

 

 

『会いたかった』

それ以上の言葉は、今は紡がない、紡げない。だって君に----------あなたに、それ以上、どういえばいいの?

 

 

彼はあたしを見つめたまま、何も言わずにそっとあたしの手を取って両掌で包み込み込んだ。ぎゅっと、でも優しく。

 

 

今はその言葉以外、二人の心には浮かばなかったのは変わらない。ただその気持ちだけを絡めて、王子様に出会えた現実を伝える掌の温もりを二人は感じていた。

心は、ずっと君の-----------あなたの元に在ったのだと。

 

 

 

 

 

fin

(from 20121117)

 

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