+ Blowin’ +    上下部下期間







手塚慧からの手紙で、あたしの王子様が堂上教官だったと知らされた。

人生で一番、という言える程の驚きの後に襲ってきたのは、自分が入隊以来、いや面接も含めて入隊以前から行ってきたらしい上官への、いや王子様への無礼千万の数々だった。
それは走馬灯のようにあたしの頭の中を一気に駆けめぐっていった。

あたし、王子様に嫌われてるんだ....

そうでなければ、あんな風に見計らいで助けてもらったときの事や王子様の事を酷く言うはずがない。
一晩中、必死で声をこらえて泣きはらした。思えば思うほど涙が止まらず...自分でも気づかないうちに泣き疲れて眠っていた...
そして追い打ちを掛けるように、堂上教官に大外刈りを決めて失神させるような事態に陥り...
小牧教官にはすべてを話したけど....

やっぱりこんなあたし、部下としても、女としてもありえないよね....





◇◇◇





小牧の「今の堂上をみてやって欲しい」という一言が郁の心の中をグルグルと回っていた。
そして、その夜もそのことばかりが頭をよぎり、よく眠れなかった。

翌日の業務で何故か組まれたのは堂上との館内巡回。
ひどく意識してしまって、どうしても目を合わせられない、顔を上手く上げられない。
その日はやけに風の強い日で、外を歩いているときは前を向けないほどだったので、郁には俯きながら堂上から離れて歩くにはごまかせてちょうど良かった。

図書館の隊員用出入り口までたどり着きIDカードをかざして扉の中へ飛び込む。
「...すごい強風だな」
そう呟いて堂上は軽く自分の髪を手櫛で整えた。そして隣に立った郁の、酷くぐしゃぐしゃになった髪へ手を添え、こめかみから後ろへ撫で直そうとしたとき、
「きょっ...あの...自分でしますからっ」
びくっとその手に驚いた郁は頭を振って堂上から離れた。
「す、すみません...」
教官の手が宙を舞い所在なさげに下ろされた。いままではその掌が自分の頭に乗ることが嬉しかったのに。
今はどうしていいかわからず、その場から逃げ出したい気持ちで一杯だった。
「トイレで直してきますっ」
そう言い捨てて堂上の返事も聞かないまま郁は駆けだして、そこへ逃げ込んだ。


どうしよう。
堂上教官の顔がまともにみられない。バディで隣を歩くだけだから、顔をみなくても...巡回はできなくはない。
でもふとした拍子に心臓が加速するスイッチが入りそうで怖い。
そしてそれに気づかれたら、体の中から沸騰してしまいそうな自分が怖い。

落ち着けあたし!
少なくても今は......最低限部下としては認められるようになりたい、例え嫌われていたとしても。
だって、少なくとも部下としてのあたしを教官は嫌ってない、と小牧教官が言ってくれたから。

王子様には既に嫌われてても、尊敬する上官には認められたい。
いや、嫌われている人間に認められる、って相当ハードル高いなぁ...
また自信を失いかける。自信なんてほんとは何処にもない。ただ自分と、同僚と、上官を信じてやってきただけ。
どこかで上官があたしを受け止めてくれる、そんな錯覚に陥っていたのかもしれない。

今日はスーツだから化粧をしているけど...洗面台の蛇口を捻り、化粧が落ちない程度に顔を冷水に浸した。
ハンカチを出して抑えるようにして顔を拭き、ぱぁんと両頬を一発叩いた。

しっかりしろあたし!






◇◇◇






午後も違う区画の巡回の予定だったが、堂上が急に会議に呼ばれたので、バディの居ない郁は書庫リクエストの応援に回された。
堂上と一緒じゃなくて、正直ホッとした。
業務部の仕事の応援に回されたのは、病欠した人間の代わりらしい、しかも1人じゃなくて数人まとめてだというので、書庫の忙しさは普段以上だった。
走らない程度に小走りで動き回る。
時々おぼつかない記憶の配架もあるが、脳内フル回転で業務集中した。


3時をまわってから、会議が終わったという堂上が地下書庫に降りてきて書庫リクエスト業務の応援に入ってくれたのは正直助かった。
午前中の緊張度と午後のフル回転で郁はずいぶん疲労していた。
「大丈夫か、笠原」
堂上の顔をみてホッとしたのと同時に、忘れていた緊張が蘇ってきた。
「はい、平気です」
ここで疲れた顔は見せられない。郁は精一杯の笑顔を作り久しぶりに堂上の顔に目線を向けた。
堂上が少し目を見開いたような顔をしたが、すぐに笑顔を向けられて、また郁の心臓がドキリと鳴った。
「あと少しだ、励めよ」
そして温かい堂上の掌がぽんと郁の頭で跳ねた。
------------うぁぁぁ、いまそれっ!!!!-------------
うれしい?!
教官の励ましてくれる掌はうれしいけど、心臓がパンクするっ。顔が急速に真っ赤になるのがわかる。
「はいぃぃっ」
どこから声が出たのかわからないような声色の返事をして、リクエスト伝票がカタカタと印字発行されているカウンターへと走っていった。

3枚続けて伝票が出てきたのでまとめて印字機から取り上げて内容を確認する。
2冊は同じ系列の本で、1冊だけはジャンル違いだ。
そこから遠い場所にある2冊のリクエストの書棚へと小走りで移動する。おおよその場所を確認すると脚立が必要だとわかり、出入り口の横に置かれている脚立を抱えて戻った。
その時郁が握っていた伝票の1枚がはらりと舞ったが、脚立の移動でそれに気づかず書棚へ向かっていたため、堂上は無言でそれを拾い郁の後を追いかけた。

追いかけた先では既に郁は脚立に上って書籍に手を伸ばしていた。
あわてていたのか、書棚から少し離れた位置で脚立を広げてしまったらしく、脚立の中心よりずいぶん体も書棚に寄せていて重心の場所がずれる。
今更降りて脚立の位置を前にずらすのも面倒だと思ったのだろう、手を伸ばして取ろうとしていた時に、無理をさせた脚立が大きく傾いて--------
「笠原!」
郁が脚立から完全に振り落とされる前に、駆け寄った堂上が傾いた脚立を郁の体を受け止めた。

「ばっ...か...」
「す...すみませんっ」
傾きかけた脚立は左手で元へ戻し、頭から落ちてきた郁は胸の中で抱えた。
郁を包みかけたときに、目が合いそのまま急速に郁の頬が真っ赤に染まった。
動揺しないように、堂上から距離をとるようにして一日行動していたのに、最後にこんな急接近だ。
堂上は郁の足をそっと地面に下ろしてやった----------
同時に郁はあわてて頭を左右に振り、堂上の胸から離れようと頭を上げようとした--------

「いったたたたっ!!」
堂上の胸元で悲鳴が上がった。すぐに堂上から離れようとしたのに、何かに引っ張られて頭を上げられず-------未だ逞しい胸の中にあった。
「おいっちょっと待て!!」
目線を胸元に落とすと、郁の柔らかい癖のある髪が堂上のスーツのボタンに絡みついていた。
「ひっぱるな笠原!」
「で、でも!」
「動いたらもっと取れなくなるぞ」

その一言で郁はシュンと大人しくなった。
午前中の強風のあと、ブラシを忘れてきたので、結局手櫛しかしてなかったのだ。
「あ、あの...きょうかん...?」
「動くなよ」
「あ、その、この姿勢辛いので座ってもらってもいいでしょうか...?」
堂上の胸のすぐ下のボタンに絡まっているため、郁の身長でいえば妙な中腰になったままだ。それでは動くな、といってもそのうち膝が笑ってしまいそうだ。
「わかった、一緒に座るぞ」
郁が床に膝をつくのにあわせて堂上もしゃがんだ。

こ、この状況が落ち着いていられるかっ!

今地下倉庫に居るのは数人だから見咎められる可能性は少ないとしても、座る堂上の胸に郁は頭を傾けて寄せているような姿勢だ。
体を堂上から離れた所に置けば、当然頭を預けた堂上の胸にぐっと重心がかかる。

ドキドキと鼓動が漏れていそうな気がするのは自分の心臓なのか-----------堂上の心臓なのか。

「髪の毛切りたくないなら、じっとしてろよ」
ボタンに絡んだ郁の髪を堂上の指が少しずつほどいていく。髪だけでなく時々触れられる頭への感触にさらに心臓が跳ね上がる。

---------------きょうかん...は、早く....っ!!

当然の事ながら目はぎゅっと瞑ったままだ。
早く、と神様にも祈るような気持ちの郁とは裏腹に堂上の指はゆっくりと丁寧に動ごいていた。
堂上の指と、二人の心臓の音以外のものは止まったような時間と静寂な空間。

「笠原」
それを破るかのように堂上が静かに郁の名を呼んだ。
「はい....」
「お前を悩ませているのは俺に関係あることか?」
何かを悟られているのか、堂上の言葉に驚き郁は目を開けた。今の郁の姿勢では堂上の表情は伺えない。
堂上教官には関係ありません、と言ったら嘘になる。
「.....業務には関係ありません」
苦し紛れにそう答えて、質問の趣旨をはぐらかした。それは暗に堂上に関係あることだと肯定してしまったかもしれない。
「あ、あの...!」
思わず顔の向きを変えて、堂上を見てしまったが、まだボタンに絡まったた髪があるので、うまく見ることはできない。

「相談するべき内容だったら堂上教官に真っ先に相談します....」
それは本心で決意は固いのだが、この場所で、この状況、髪を引っ張られて横向いたままではきっぱりとは宣言できなかった。
「.....わかった」
もう少し待ってろ、といい、堂上は髪をほどくことに手を少し早めた。
こうして、堂上に髪を触られるのは嫌ではない--------------郁をいつも褒めてくれる掌、励ましてくれる掌は頭でぽんっと跳ねるだけでなく、くしゃくしゃっと撫でられることも合った。
今は頭を撫でられている訳ではないけど、絡んだ髪をほどく指は時々郁の髪を頭を撫でていく。

実は気持ちよくて-------------すごく安心するのだ。

教官はあたしが部下だからこうしてくれるの?もし他の部下がこんな事になっても、教官はこうするの?
恥ずかしくて早く終わらせて欲しい気持ちと、こうしていることで得られる安心感とで気持ちが行ったり来たりする。
王子様に嫌われているのであれば、憧れは断ち切らなければ行けないという気持ちと、教官に認められる部下となって側にいたい気持ち。

王子様と堂上教官が郁のなかで重なって欲しくて、重なって欲しくない、そんな思いがゆらゆらと揺れ動く。

「とれたぞ」

そう言われて郁は堂上の胸に預けていた頭を上げた。座ったときのままの距離で目を開けて堂上を見つめた。

「.....怒らないんですね」
「お前のうっかりは今に始まったことじゃないし.....今回はお前も何がいけなかったのか解っているようだからな」
堂上は無表情ではあったが、決して眉間の皺を深くしていた訳ではなかった。

「寝つけないなら、酒でも付き合うか?だが、寝不足で飲ませるのも悪酔いさせそうだしな」
「いえっ、そんな、平気ですから!」
今教官と飲み会とか無理だから!!
真っ赤な顔をしてあわてて辞退した郁の様子がおかしかったのか、堂上が小さく笑って立ち上がった。そしてまだ座ったままの郁に手を差し伸べて立てと促した。

「いろいろすみません...」
遠慮するのも不自然だから!と手を借りて立ち上がった郁は俯いたまま頭を下げた。
「これは俺が上げておく」
郁が無理して書棚から取り出した本を持って堂上はカウンターの方へと歩いていった。
残された郁は、堂上の背中をじっと見つめながら瞼の裏に大切にしていた背中と重ね合わせる。

教官が王子様。
その背中が重なったことが、実は嬉しいのだと言ったら誰かに怒られるだろうか。
たとえ王子様に--------教官に自分は嫌われているとしても。

郁はさっきまで憧れで---尊敬しているその人に触られていた髪にそっと触れて、目の前に引き出して見つめた。王子様である教官の指がほどいてくれた髪。しばし見つめてから髪を戻してゆっくりと手櫛をいれた。
「今の堂上をみてやって」小牧の一言がまた郁の胸に浮かぶ。郁はぎゅっと手を握り、何かを心に決めた。






fin







かっちゃんさまからのリクエストは、

「返却図書の整理中、郁ちゃんの脚元で子供がはしゃいで通り過ぎ、焼けようとしてグラリ。勿論、教官に抱きかかえられてことなきを得るけれど、郁ちゃんの髪がスーツのボタンにからんじゃって。ボタンを止めていたから脱ぐこともできない。一生懸命外す教官。取れるまでのドキドキな二人の様子を是非SSで~♪ ジレジレ期でも恋人期でもお任せいたします」

となっておりましたが。
子どもは出てこないし(>_<)返却図書整理してないし(>_<)ドキドキイチャコラな二人に全然なってないし(>_<)
そもそも、テーマが「王子様が教官だとわかってゆらゆら気持ちは揺れ動いている郁」じゃないかー!(まさに何でこうなった...orzですよ...)

 

 

(from 20121013)