+ AFTER + 「お茶でも如何」 夢川さまの 「REASON」の三次SS(ほぼ堂郁SS) ※ 限りなく「REASON」を既読の方向け
どんなに神に懺悔しても許されない罪があると思う。
一生に一度、と自分が後悔しない道を選んだが故に手を伸ばした。掴まれることが無くても良いと思っていたはずなのに、掴まれた事で胸が熱くなった。同時に築き上げてきたもの全てを失った―――その時手に入れた彼女を除いて。
あの時の行為は彼女の人生も、俺の人生も変えた。
彼女がずっと追い求め続けた男は間違っていた俺で、自らが捨てたはずの物を肯定された事が受け入れられなかった。そんな小さなプライドの為に彼女の前で素直になることができないまま、その日を迎えてしまった―――彼女が他の男のものになる日を。
選ばれた、ただそれだけで本当は十分だった。
差し出した自分の手に、彼女の掌が重ねられた。ただそれだけで満足すべきだった。
自分の心の中に在り続けたものにケリをつけるだけでよかったはずなのに、何故それ以上を求めてしまったのか。
―――上官として、愛すべき部下達の幸せを望むだけでは満足出来なかった。出来た上官でも何でもない、単なる狡い男だ。
間違った自分をずっと追い続けて、思い続けてくれたことを認められず、最後の最後でJOKERを出した。
静かに俺に寄り添う彼女は、儚げに微笑む。
儚い、なんて言葉が似合う女ではなかったはずなのに、俺が彼女を変えてしまった。その罪は底無く深い―――
◆◆◆
幸せにならなくてはいけない、と思いながら、幸せになる資格も権利もない、と思う。
あたしに科せられた一生の咎。
あたしはこの先ずっと、幸せそうな微笑みを浮かべながら、一生心の奥で泣き続けるのだ、ごめん、と。それが自分の選んだ途だから。
後悔することも、懺悔を口にすることも許されない。しんみりするのは得意ではないし、性分でもないから、涙は誰にも見せないと決めた。
憧れの王子様を探していた。王子様だと告げられたとき、あたしの大好きな人は「行け」と背中を押した。
彼にも、王子様にも罪はない。ただただ、罪深いのは手を取ったあたしだ―――
今はバディであった頃よりもずっと堂上の近くに立つ。
愛する気持ちも、情もある。
それでも、きっと、あたしがもう誰かに「大好き」と口にすることはないと思う。
―――あたしの大切な思い出と、その想いは二度と心の底に凍りついた湖から取り出されることは無い。
堂上とこの地で暮らし始めて半年になる。
古いアパートの小さな部屋で、穏やかに語り、寄り添うように眠る。
だけど、それ以上触れられることも、触れることもしない。最北のこの地で、二人で暖をとりながらも身も心も温められることは無いのかも知れない。
きっと、あの人は時折あたしが涙を流していることを知っている。
◆◆◆
あたしが車の運転するとか、大丈夫かなぁ。
自分で言うのもなんだが不安が拭い切れない。堂上はこの地に住んでまもなく中古車を購入し、それで通勤していた。休みの日にはその隣に乗って買い物に出かければ事が足りた。
アパートは町の中心からは徒歩で30分くらい離れた所にあったが、時間はたっぷりあるし運動にもなるから、とちょっとした買い足し物も含めて自分の用事があるときは歩いて出向いていた。だが真冬となるとそうも行かない。吹雪いたりすればわずかな距離でも遭難する可能性は充分にあるのだからと、地元の人に言われて郁用の中古車を購入することになった。
冬用タイヤを履いた軽の四輪駆動車。四駆、というからゴツいのかと思ったら、見た目は普通の軽自動車でちょっと安心した。
なにせ、地元でも図書隊でも殆ど運転することがなかった正真正銘のペーパードライバーだ。
まあ、難しい車庫入れもすれ違いも無い土地だから、ブレーキをアクセルさえ間違えなきゃ大丈夫だよ、と納車にきてくれた車屋のおじさんは笑って励ましてくれた。
冬仕様といっても慣れない運転な上に慣れない雪道なのだから、買い物はなるべく晴れている日にしよう、と決めたので、雪が降り積もる日はずっと閉じこもったまま。
明日、雪が止んだら雪かきだなぁ、と伸びた髪の先を指に絡めながら窓の外を見つめ、堂上の車の灯りが近づいてくるのをぼんやりと待つ。
切り損ねた髪が、時の流れを思い出させる。
同時に長い黒髪がトレードマークの親友の事も。
そして、思いだす権利さえ無いのに、彼のことも。
茨城や東京で見る雪は、心躍る物だったなあ、と同じ雪なのに天と地の差があることに気づいて失笑した。
◆◆◆
ひとり小さなアパートで待つ郁のために、なるべく定時で仕事を切り上げるようにしていたが、その日はトラブルがあって少し遅くなった上に、夜になって降雪が本格的になってきた。今夜はかなり降り積もるだろう、と同僚たちが話していた。
最北の地で迎える初めての冬。
基本、暖房の効く車での移動だし、何処の家屋に入っても温かいので気温計と天気予報以外ではそれほど極寒だと感じることはない。
だが、窓の外の景色を見つめる郁の横顔をみると心が凍り付く。
掌で触れて、体ごと温めても彼女の心までは届かない。
そんな気がして、伸ばした手を引っ込めてしまう。
「郁、風呂空いたぞ」
「あ、うん。じゃあ入ってくるね」
入れ替わるように窓辺に立ち、郁の眺めていた雪景色を代わって見つめる。彼女の心に何が映っていたのか、堂上には量れなかった。
◆◆◆
小さな部屋で二人、炬燵で暖をとる。ストーブの上に置かれたヤカンからシュゥゥと出続ける蒸気の音だけが、しんしんとした部屋に響く。
「2~3日、留守にしても大丈夫か?」
堂上はそんな事を口にしたのは初めてだった。
「・・・出張?」
「ん、まあそんなところだ」
仕事なら、と郁はうん、と頷く。どこへ?と郁が聞く前に堂上が続けた。
「空港へ行くから、ちょっと日帰りは難しいんだ」
ぽん、と郁の頭に掌を置く。大丈夫だよ、の意味を込めて、郁は堂上の腕に触れた。
「お土産、食べ物でいいよな」
「え、決定なの?」
「それが一番喜ぶだろう」
「まあね」
そういって郁は笑った。そうだ、おまえがそうやって笑ってくれるのが一番いい―――
さっそく、とばかりに堂上は小さなボストンバックに旅行の支度をし始めた。
数日後、堂上はちらちらと雪の降る中、アパートに郁を一人残して車を空港まで走らせた。
◆◆◆
二人でこの地に行き着いてから、初めてひとりの夜を過ごす。
相変わらず雪が降り続くが、幸い吹雪いてはいないので、きっと堂上の乗った飛行機は飛び立っただろうと思う。
堂上が行き先を言わなかったので、あえて聞かなかった。
もしかしたら、無意識に互いに口にしなかったのかもしれない。堂上の行く先に何があるのかを知るのが怖くて。
しんしんと降る雪に外も、室内も、静寂が一層深まる。
寂しさを紛らわせるために付けたテレビ番組もちっとも頭に入ってこないので、諦めてテレビを消した。
読みかけの本を一人じっくり読むか、布団に潜って眠ってしまうかを迷ったが、寝付けそうになくて小さな灯りをつけてペンを握った。バラエティストアで購入したなんの飾り気もない便せんを開く。
『柴崎麻子様
元気ですか?
いろいろ、迷惑を掛けたことと思います、図書隊の事も光の事も。謝れる立場には無い事は判っているので、それはあえて書きません。
最近、必要に迫られて自分用の小さな中古車を買いました。ペーパードライバーだった私がなんとか雪道を走ってます。これでも随分慣れたんだよ。
図書隊のみんなは元気ですか?』
光は―――どうしてますか?
誰かと、笑ってますか?
そんな事、聞けるはずもない。
投かんするつもりも、柴崎の手に届くことの無いその手紙に、郁はそう綴ってから涙した。
◆◆◆
半年ぶりの東京。
こんなに早く、戻ってくるつもりはなかった。
あんなことしでかして、迷惑かけたであろう図書隊の誰とも連絡もとってこなかった。仕事も家族も、何もかも捨てて彼女に手を差し伸べたのだから、今回も実家に連絡を入れるつもりは毛頭なかった。もちろんかつての親友にも。自分はきっと親の死に目にも会えないだろうと覚悟を決めていた。
唯一、連絡をとったその人は、貫禄たっぷりのサングラスを掛けて堂上の前に現れた。
「たまには飛行機で出張もいいな。いつも新幹線だから次はそうしよう」
滑走路がよく見えるレストランの一番端の席に、向かい合って座った。早くも西日が眩しい時間になってきたせいか、男はサングラスをしたまま表情を見せない。
「御迷惑、お掛けしました」
堂上は深く長く頭を垂れた。謝っても謝りきれない、もはや意味のない物だと判っていても頭を下げたまま立った。
「お前は除隊願を置いていったから、処理させて貰った」
例外なく対応して貰えたのだと判り、少しだけほっとして面を上げた。これ以上自分の立場が迷惑を掛けることが無くなったとわかったから。
「笠原は行方不明、だからな。そろそろ結論をださなきゃならない」
意志を示さずに失踪した形なので、一時休職扱いになっている、とその男、玄田から直接聞いていた。
「復職、させたいのか?笠原の意志じゃないだろう?」
郁の事で相談がある、と連絡したのは堂上の方だった。
「自分の我が儘に付き合わせました。もう、解放してやらないと―――」
あいつは本当に壊れてしまう。時折、彼女の微笑みの向こうに涙の泉が透けて見えるのだ―――
北の地に着いて、生活が落ち着いてきた頃からずっと考えていた。元気が取り柄だった彼女の食が細くなったのはいつ頃だっただろうか。
体を動かしてないから、これくらいがちょうどいい、と笑っていたが、やつれていったのは紛れもない事実だった。
互いの温もりを感じ、傷を舐め合うように口づけを交わしても、それ以上に深く触れ合うことはできなかった。俺の女にしてくれと言い、と涙を流しながら俺に抱かれたあの日の事が頭から離れず、また泣かせてしまうのかという思いに囚われた。
「なあ、堂上。
笠原はお前が思っているよりずっと、覚悟がある奴なんじゃないかと思うんだがな、俺は」
玄田の手に掴まれるとコーヒーカップも一回り小さく見える。
「壊れるのを恐れているのは、お前だけなんじゃねえか?あいつは、ぶっ壊されても、その中からはい上がってくる事ができる女だから、特殊部隊員に入れたんだろう?」
そして、そんな女にお前が育て上げたんじゃねえのか?
元上官の言葉は的確で重かった。
◆◆◆
結局なかなか寝付けず、気がつけばボロボロと涙で枕を濡らしながら、郁は一人きりの朝を迎えた。
まあ、寝坊しても食事の用意は自分の分だけだし、このまま又ベッドで一人泣きしてしまっても堂上に心配掛けることはない、と思ったら逆に泣けなくなった。
泣きすぎて涙も枯れたかな、と自己分析しながらぼんやりと目の前にある天井を眺めた。
何の根拠もないけれど、たぶん、堂上は東京に行ったのではないか、と思った。
それが事実だとすれば、きっと郁自身の為にだろう。そういう人だから。
あたしは幸せになる資格も権利はないけど。
堂上を幸せにしなくては、と思う。
勝手に憧れて、勝手に背中を追いかけて、現れた王子様の手を取ったのは自分。王子様は何もかも捨てて、自分を迎えに来てくれたのだから。
あたしが王子様の手を取ったのだから。あたしには彼を幸せにする義務がある、きっと。
自分の為に生きることはできなくても、彼の為に笑っていたい。
泣きながら眠りについたせいか目元が随分腫れぼったかったが、気持ち的には少し楽になった。だって、後ろを振り向いても、もう何も残っていないのだから。
◆◆◆
「お帰りなさい」
「ただいま、郁」
玄関先でコートの雪を軽く払った後、郁にビニール袋を差し出した。玄田とは空港で落ちあったし、帰りの便に合わせて空港近くのホテルに泊まったので、必然的にお土産は羽田土産しかない。
銘菓、だけでも数種類あった。
「随分、買ったんだね」
「ああ、好きなの食べろ。でも一箱は職場用だぞ」
「はーい」
受け取った袋を抱えながら、郁は”毛ガニいただいたんだー”と話しながら用意してあった土鍋に火をつけた。
「篤さん、あたしね」
堂上が話しを切り出す前に郁は自分から話し始めた。
「仕事、探そうかなって」
「・・・・・・」
笑顔でそう切り出した郁を見つめて、堂上は眉間の皺を深くした。
「春になったら、って思ってたけど、ほら、運転も慣れてきたから雪解けまで待たなくてもいいかな、って」
カセットコンロの上で温められている鍋のぐつぐつという音が響き、郁は少し火を弱めた。
「笠原」
突然、堂上はかつての呼称で郁を読んだ。その声色にビクリ、と郁は小さく震えた。
「・・・・・・帰るか?」
東京に、と口にしなかったが郁には伝わった。
「・・・あつし、さんは?」
堂上は無言で首を横に振った。
「除隊願、ちゃんと基地に送ります」
「郁」
誰とも連絡をとってはならない、と思っていたし、退職は予定外なのだから、方法なんて知らなかったが、駆け落ち同然で飛び出してきてから、何一つ自分では後始末をしてなかったと気がついた。
「帰らない、って言ったはずです。帰るところも無いし」
弱めたコンロの火を、郁は一旦切った。
「篤さんが、あたしを必要としないなら此処を出ます。それでも、戻ることはありません」
戻るところも、受け入れてくれる仲間も、もう居ない。今の郁は堂上の傍にいる以外の選択肢を持たない、自分では。傍にいて堂上を愛すことが郁に科された楔なのだから。
「あたし、篤さんにちゃんと愛されたい」
愛されて、愛したい。その気持ちに偽りはない。
「郁」
箸を置いた堂上が、ゆっくりと郁の傍へと近づき郁の顔を胸へと抱き寄せた。
「直ぐでなくていいから、あたしをお嫁さんにしてくれませんか?」
たぶん、それは何年も先になるだろう、と思った。
柴崎と光は、堂上と郁の居場所を知っているが、恐らく誰にも何も告げていないだろうと思った。誰も堂上と郁が何処でどうしているか、なんて知らない。互いに友人も実家も捨てた身だから、本当に結婚の体裁を整えるのはずっとずっと先だろう。それでも、あたしはこの人と未来を歩みたい。
「ああ、指輪くらいは、用意しような」
うん、と堂上の胸元で郁は頷き、そっと涙を落とした。これでいいんだ、と自分に強く言い聞かせながら。
◆◆◆
せっかく最北の地にいるんだから、流氷見たいなあ。
そう堂上にリクエストして、降雪が酷くない週末に堂上の愛車で海へと向かった。
「もっと近くで見られると思ったのに、遠いんですね」
「ああ。最近は暖冬のせいか、陸地からは見えない年もあるとか」
観光船もあるみたいだが、どうする?と堂上に聞かれて郁は首を横に振った、ここからで十分だと。
「海の中にはクリオネとか居るのかなぁ、キラキラと綺麗だろうなあ」
かつてテレビ番組で見た事のあるクリオネが浮遊する水中画像を思い出す。
郁はそっと、上着のポケットに忍ばせてきた小さな袋の中の指輪を掌で握る。
光が、この地まで届けてくれた指輪。
本当に、本当に、ありがとう―――大好きだった、きっとずっと大好き。
そして、さよなら。
瞼をそっと閉じて、最後に見た彼を思い出す。もう、その姿の記憶もおぼろげだ。
クリオネと一緒に最北の海できっとキラキラ輝きながら沈んでいくだろう、と最後の輝きを思いながら、渾身の力投で思い切り海に投げた。
一瞬日の光を浴びたそれは、音もなく海の中へと消えていった。
「どうした?」
「うん。流氷とクリオネさんにお賽銭、みたいなものかな」
「なんだ、拝み神代わりか」
「そんなところ」
極寒の地では直ぐに手先が凍えてしまうから―――互いに手袋をしたままの手を堂上は取った。
堂上が東京から戻った日から、二人は体を重ねるようになった。郁は時折、抱かれながら泣きそうになるが、堂上は目尻に貯まる涙を見つけると唇を寄せて優しく舐め取ってくれた。身も心も少しずつ繋げていければ、求め合ううちに二人で在り続けようと思えるような気がしていた。
東京にいた頃に比べれば、ここで過ぎる時間はほんの少しゆっくり流れているように思う。これ以上、何処へ逃げることも叶わないのだから、此処で立ち止まって、互いを見つめ合おう。
どちらとも無く隣に立つ愛しい人の顔を見つめ、遠くに見える流氷が波に上下される様子に鼓動を合わせながらキスをした。
fin
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